ラストパスに、夢たくし/母校東京中高で、安英学選手の引退試合
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在日コリアンとして初めてサッカーワールドカップに出場するなど、Jリーグで活躍した元サッカー選手・安英学さん(38)の引退試合が8月5日、母校・東京朝鮮中高級学校のグラウンドで行われ、各地から約600人が参加。安英学オールスターズが東京朝高サッカー部と対戦し、15年にわたる現役生活での活躍を称えた。
安英学オールスターズには、学生時代に安選手とともにボールを蹴った20~40代のサッカーマンや朝鮮大学校サッカー部のメンバー約30人が結集した。試合は、安チームが高1、高2、高3チームと闘う30分の3本勝負。安チームは、若い高校生を相手に4-0で快勝の意地を見せた。チームを監督として指揮したのは安さんの恩師でもある朴得義さん(43)だ。
安さんがプロ選手として初めて籍を置いたアルビレックス新潟からは、「最後のプレーを見たい」と約20人の日本人サポーターが来校。試合が始まると、「イギョラ安英学!」と、炎天下のなか、笑顔でエールを送り続けた。
サポーターの一人、後藤寛昭さん(50)が、安さんの応援を始めたのは日本人拉致事件が明らかになった2002年。「どんな時も一生懸命に走る。一対一の時は絶対に負けない。最初はかれの国籍や背景も知らず、ただプレーに魅せられた人たちが後援会に集まってきた。そして、週末に会うたびに、かれの夢を追いかける特別な関係になった」と語る。
そんな新潟のサポーターたちが、安さんが新潟時代に作り、その後も各地のスタジアムで掲げてきた横断幕を同校サッカー部に贈ったのは、格別な思いがあった。
「ヨンハが怪我のときも復帰を祈ってこの横断幕を掲げた。魂があれば、どんな壁も越えていけることを教えてもらった。ヨンハがかけてくれた架け橋で、僕らはさまざまな違いを乗り越えて出会い、ヨンハの夢に向かって歩んできた。この思いを託したい」。
安さんは、朝6時の電車で東京中高に向かった新潟のサポーターたちを笑顔で迎え、一人ひとりと握手。最後に在籍していた横浜FC のグラウンドにも新潟のサポーターがよく見にきていたが、人との縁を大切にする姿はいつも変わらない。
引退試合の3セットにフル出場し、体当たりのプレーで試合を盛り上げていた安さんは、支え、育ててくれた人たちへの感謝を力いっぱいに伝えていた。
試合後、約80人の後輩たちに向かってマイクを握り、「苦しい時、辛い時も歯をくいしばって、がんばってほしい。そして時には背負ってほしい。これからは後輩たちの夢を全力で応援していきたい」と大きな決意を語っていた。
そんな安さんが泣き崩れたのが、浪人時代から、ずっと支えてくれていた朴得義さんへ思いを口にした時。
「ただの浪人生だった自分の夢を信じてくれて、ヨンハならできるよと言ってくれた。雨の日も雪の日も、雷の日にも二人でボールを蹴ってくれた。引退を考えた時も、『まだできるよ』と励まし、一緒に泣いてくれた。ヒョンニム、コマプスムニダ」。
夢を追いかけた二人、その夢に向かって走り続けた「チーム安」の真心にあふれた晴れやかな引退の舞台だった。
安さんは2015年にイオの誌面で「夢は叶う」という連載を1年にかけて担当してくれた。
在日サッカー界を背負う気持ち、熱さにはいつも圧倒させられていた。担当編集者の縁で、安さんと出会えたこと、たくさんの話ができたことを幸せに思う。
大きな夢を見せてくれた安英学さん、15年間、本当におつかれさまでした。(瑛)
※写真提供=盧琴順(朝鮮新報)