「原発災害下の福島朝鮮学校の記録」
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今回のエントリでは、先日、明石書店より刊行された「原発災害下の福島朝鮮学校の記録」について書きたい。サブタイトルに「子どもたちとの県外避難204日」とあるように、同書は、福島第1原発事故直後の5月から児童・生徒、教職員がまるごと隣県の新潟朝鮮初中級学校に移り、同年12月まで教育活動を行った福島朝鮮初中級学校のケースをまとめたもの。この取り組みについての現場教員の報告、報道記事、識者の論考、当時の内部資料などが収められている。
編者は、昨年3月まで4年間にわたって同校校長を務めた具永泰さんと東京学芸大学の大森直樹准教授。本書の刊行は、大森准教授が属する同大教育実践研究支援センターによる教育支援事業の一環として行われたものだ。
原発事故後に実施された初の「学校集団避難(疎開)」となった同校の取り組みの一端を記録集という形でまとめて出版することは、この間に学校側が作成した各種文書などの一次資料の散逸を防ぐうえでも、またこの取り組みの意味と背景を明らかにし、その取り組みを通じて得た知見を広く活かすうえでも少なくない意義を持つのではないだろうか。東日本大震災と原発事故以後、何度か福島を訪れ、同校や地域の在日同胞コミュニティを取材してきた一人として、本書を一読してそう感じた。
くわしい内容については、ぜひ本書を手にとって確かめていただきたい(決して説明をサボっているわけではありません、念のため)。
福島朝鮮学校の新潟における合同教育は12年11月まで断続的に行われた。編者の大森准教授は従来の『避難』『疎開』という視点に加えて、12年以降の活動については『保養』という観点からの分析も必要だと指摘している。この先駆的な取り組みの全体像を整理することは、福島朝鮮学校に限らず、現在進行形で続く原発災害下の教育現場で子どもたちの安全を守るために試行錯誤する人々の活動に少なからず資するはずだ。本書刊行の意義もそこにあるのかもしれない。
最後に、本書のあとがきに引かれてあった具前校長の言葉を以下に引用する。
「私たちには、この取り組みを社会に向かって提起したいという思いもあるのですが、残念なことに、そのことには慎重にならざるを得ません。一つには、郡山では、日本の公立学校と日常的に交流を重ねてきました。後ろ髪を引かれるような気持ちがあるのです。もう一つは差別です。マスコミは、私たちの取り組みを歪めることなく伝えてくれるだろうか。世論は、私たちの取り組みについて、そのありのままの姿を受け止めてくれるだろうか。もし両校の子どもたちに何かあったらいけない。そう考えざるを得ないのです。残念なことです」。
あとがきは続いて、「被害の事実を直視して被害からの回復の手立てを組むことを、被害を受けた側が強いられる。これは不条理だ」と指摘している。朝鮮学校をめぐる諸問題について考えるとき、決して忘れてはならない視点だと思う。(相)