いつかコーヒー通に
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気がついたら、ちょっとコーヒー好きになっていました。ブラックを飲めるようになったのが大学1年のとき。先延ばしにしてきた課題の期限がいつの間にか翌日に迫っていて、「今日寝たらおしまい」という状況でおそらく人生で初めてブラックコーヒーを飲みました。カフェインへの免疫がなかったため効果は抜群。無事に課題を済ませることができました。その後4年間同じようなことを繰り返すのですが、4年後にはすっかり慣れてしまって、味に反比例してその効果はどんどん薄れていきました。このような経緯でコーヒーを飲み始めました。
コーヒーが美味しいと気づき始めたのは大学卒業後。取材や仕事の打ち合わせなどで喫茶店を利用することが多くなり、インスタントではなくそのお店で淹れたコーヒーの味を知りました。お店によって全然味が違うということも。「このコーヒーは不味い」はまだ理解できませんが、「このコーヒーは美味しい」はなんとなくわかります。
また、私がコーヒーっていいな、と思ったきっかけがもうひとつあります。それは以前たまたま見つけたこんな文章。
哲学の授業。教授が空っぽの大きな瓶を手に取って、満杯になるまでゴルフボールを入れていった。彼が「この瓶はいっぱいですか?」と尋ねると、学生たちは不思議そうに同意した。
すると教授は小石が入った箱を取り出し、中身を瓶へ注いだ。彼が軽く瓶を振ると、小石はゴルフボールのすき間に入り込んでいった。彼が「この瓶はいっぱいですか?」と尋ねると、学生たちはその通りだと頷いた。
次に教授は砂の入った箱を取り出した。同様に瓶に注ぐと、砂はすっかり中を満たした。彼が「この瓶はいっぱいですか?」と尋ねると、学生はみな「はい」と答えた。
そして教授はテーブルの下から2杯のコーヒーを取り出し、砂と砂のすき間を埋めるように、器用に瓶へ注いでいった。それを見た学生たちは大笑い。
「さて」。教授の言葉に笑いが止まった。
「この瓶は、あなたの人生を表しています。そしてゴルフボールは、あなたの家族、健康、友人、情熱などの重要なものを表しています。たとえ他のすべてを失ってもこれらは残り、あなたの人生は依然として満ち足りたものであり続けます」
「小石は、あなたの仕事、家、車レベルの重要なものを指します。砂は、その他の小さなものを表します。もしあなたが最初に、砂で瓶をいっぱいにしてしまったら、小石やゴルフボールを入れるスペースが無くなってしまうのです。これと同じことが人生においても言えます。もしあなたが小さなことにすべての時間とエネルギーを費やしてしまったら、あなたは本当に重要なものを手にすることができないでしょう」
「家族への感謝の気持ちを忘れないでください。健康診断をきちんと受けてください。人生において重要な、“ゴルフボール”を一番大切にしてください。優先事項を決めるのです。他のものは、単なる砂でしかありません」
すると1人の生徒が手を挙げ、「それではコーヒーはなにを表しているのですか?」と質問した。教授は笑顔で「よくぞ聞いてくれました」と答えた。
「これはあなたの人生がいくら手一杯に見えても、友人と一緒にコーヒーを飲む余裕がいつもあるということを表しています」。
この話の主題ではありませんが、最後の一行にぐっときました。コーヒーは味だけじゃなく、それを飲んでいる時間とか空間を含めてのものなんだなぁ、お洒落だなぁ、と。
仕事で会う人ともすぐに本題に入らず、まずは色々な話をしてお互いのことを知る時間が好きです。その時に飲んでいるコーヒーと、相手と交わした楽しい会話が結びついているためコーヒー自体が好きになったのかもしれません。そんな場が一つ増えるごとに、コーヒーの味がわかるようになるのかも。私がコーヒー通になるのはいつ頃でしょうか。(理)