壊れかけのキャリー
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「ガコン」。
自販機で購入した飲み物が受取口に落ちてくるような、鈍い音がした。振り向くと、キャリーケース(以下、キャリーと呼ぶ)の一輪が外れていた。先月、名古屋駅構内の長い通路を歩いていたときだった。
前兆がなかったわけではない。

右手前が擦れたタイヤ、左手前が外れた部分。よく見るとその他の損傷も痛ましい
久しぶりの出張で近畿と中部地方を巡ることになった。荷物が多くなることを予想して、引っ張り出したキャリー。出発当初は、4つのタイヤのうちの1つは擦れてタイヤとしての役割を果たしていなかったことを忘れていた。負担を減らそうとキャリーをいびつに傾けながら転がしていたことが災いして、擦れた一輪の反対側のタイヤが根元から外れるという事態に発展した。
はじめて買った黒色のキャリー。中学生の頃からの旅の「同伴者」で、物持ちが悪く、よく忘れ物をする私が長く使っている物ランキング第2位だった(1位は小学生から使っているアディダスの小さなキーケース)。
あれ、よく考えたら私とそっくりだ。
幼い頃から体は頑丈な方だったが、中学3年生のころにサッカーで左足首を手術することに。高校からはラグビーを始めたが、きちんとしたスポーツ療養ができていなかったせいか、今度は右ひざを手術する大怪我をした。その後、さらに2度右ひざを手術することになるのだから、キャリーよりも災難だと思う。

三点の支えて立つキャリー
キャリーは4輪のうち2輪を失い、私は両足を何度も故障した。それでもキャリーは残りの2輪で転がり続け、私は両足で歩き続けている。完全な状態ではなくても、残された部品、腱や骨が互いに支え合って、なんとか進んでいる。
人はだれしも支え合いながら生きている―そんなことを考えながら、壊れかけのキャリーを手にしていた私は徳永英明の名曲が脳内でオーバーラップした。これで私も「大人」になったのかしらん。
けれど、壊れかけているのはキャリーだけではない気がする。
中学生の頃と比べて、今はっきりとこの社会を覆う嫌な「空気感」を感じる。いっそラジオを切るように、ノイズも何もかも取り除いて生きていきたいがそうはいかない。
東京に戻った後、新宿駅前で「日本人ファースト」を掲げる政党の党首が演説すると知って、取材終わりに足を運んだ。政策の中身や事実よりも「感情」が優先される、政治家を「推し活」するような昨今の社会の一端を見た気がした。反知性の極みここにあり。
参政権を持たない在日朝鮮人の筆者ができることは何かと考える。
「破局前夜が新生前夜となる、戦争前夜が解放前夜となる、その稀な望みを、私たちは棄てない」。季刊『前夜』の言葉を今また思い出している。
ちなみに、正常なタイヤ2輪を欠いたキャリーを運ぶのは想像以上にきつかった。翌日両腕が筋肉痛になった。(哲)








