東京大空襲朝鮮人犠牲者ゆかりの場所を巡る
広告

約10万人が犠牲になったといわれる米軍による東京大空襲(1945年3月10日)から今年で81年になる。
当時、数多くの朝鮮人が強制連行などの植民地政策により日本に渡り生活していた。この東京大空襲で1万人に及ぶ朝鮮人が命を落としたといわれているが、正確な犠牲者の数はわかっていない。
きたる2月28日には都立横綱町公園で「東京大空襲81年 第20回朝鮮人犠牲者追悼会」が執り行われる(主催=東京大空襲朝鮮人犠牲者を追悼する会)。
東京大空襲と関連して、25日に行われた東京朝鮮人強制連行真相調査団メンバー、朝鮮大学校の学生らによる現地調査に筆者も同行した。
東京メトロ東西線の木場駅に集合し、洲崎にあった石川島造船所の寄宿舎跡、猿江橋、東深川橋と回り、墨田区立緑小学校まで朝鮮人犠牲者・被害者にゆかりのある場所をめぐった。
洲崎(現・東陽町)にかつてあった石川島造船所の寄宿舎は、東京大空襲で甥2人を亡くした金一萬さんの証言に出てくる場所だ。証言は以下のような内容となっている。
当時、洲崎に石川島徴用工の寮があり、そこには300人あまりの同胞が寝起きをしていた。逃亡を防ぐためだといい、出入口には外から錠がかけられ、常時監視されていた。空襲後に見た遺体の中には、朝鮮人も含まれていたことは確かで、恐らく多くの同胞が身元も確認されないまま、日本人と一緒に埋葬されたり、海に流されてしまったのだろう。

猿江橋の西詰め(江東区森下5丁目)には犠牲者の霊を慰める八百霊地蔵尊と、その隣りに町民犠牲者786人の名前を刻んだ墓碑が建っている。森下5丁目の町会関係者5人が建設発起人を務め、2015年3月に建立された。碑には朝鮮人とおぼしき名前も刻まれている。

墓碑のもとになった犠牲者の名簿は、空襲直後に町会が作った「高橋五丁目戦災死没者過去帳」。その後、「高橋五丁目戦災犠牲者俗名録」という巻物にして歴代の町会長が保管してきたという。現町会長の菊谷茂夫さんが案内してくれた。

東深川橋のたもとには、空襲時、自身が経営していた食堂を戦災者の無料宿泊所として提供した在日朝鮮人・李仁洙さんがのちに妻の徳洙さんと朝鮮民主主義人民共和国に帰国する際に残した「平和を願う碑」が建っている。そこからしばらく歩くと、李さんが建立した戦災地蔵尊(延命地蔵尊)もある。
2月中旬発行のイオ3月号ではこの日の現地調査の内容を掲載予定だ。(相)
東京大空襲81年 第20回朝鮮人犠牲者追悼会
日時:2月28日(土)14時~(13時30分受付)
場所:都立横綱町公園内 東京都慰霊堂(都営地下鉄大江戸線「両国」駅徒歩2分)
参加費:1000円(学生無料)
主催:東京大空襲朝鮮人犠牲者を追悼する会(代表:西澤清)
問合せ: E-mail=tokyo.chosadan@gmail.com
TEL=090-1102-8709(平岡)または080-7215-1945(金)








