浅川伯教・巧兄弟資料館を訪れて
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山梨県北杜市にある浅川伯教・巧兄弟資料館は、同市内の高根生涯センターという立派な建物の一角にあった。https://www.city.hokuto.yamanashi.jp/docs/1635.html
北杜市に生まれた浅川兄弟は、朝鮮半島へ渡り、その美に魅せられ、陶磁芸術、植林の調査と研究を行った。
数々の展示のなかで魅せられたのは、兄・伯教(1884-1964年、享年80)が集めた陶磁器の破片だった。
父方の祖父が生を受けた慶尚北道・義城の陶磁器の破片もあった。子どもたちのルーツが宿る慶尚南道・金海のものもある。故郷に一度も足を踏み入れたことがない私にとっては、「土」を感じられる破片だった。
朝鮮古陶磁研究者だった兄・伯教は1913年に朝鮮へ渡り、小学校の教員をしながらも、植民地支配下における教育に疑問を感じていく。そして朝鮮の人々の暮らしの中にあった民芸品に価値を見出し、朝鮮白磁に魅せられ、朝鮮半島の窯跡700ヵ所を訪ね歩き、膨大な数の陶片を拾い集め、朝鮮陶磁器の歴史を体系づけたという。
また、24年には柳宗悦、弟の巧とともに「朝鮮民族美術館」を設立。朝鮮の文化に激しい弾圧が加えられていた当時の状況から「朝鮮民族」という呼称にこだわったと案内の方が教えてくれた。また、弟・巧(1891-1931年)は、木材の略奪によって、はげ山となった朝鮮の山々に心を痛め、その緑化にも貢献し、40歳の若さで肺炎で亡くなった。
浅川兄弟の足跡と復元された民芸品を見ながら、100年前にあった朝鮮の人々の暮らしを想った。
美しい陶磁器の多くは朝鮮の文化財。その多くは略奪され、日本の美術館にも残されている。それらを見るたびに複雑な思いに駆られていたが、浅川兄弟のように朝鮮の人々の暮らしに思いを寄せた日本の文化人がいたことに、救われる思いがした。
浅川を名乗る遺族は、今日本にいないという。韓国で50年間、保管されていた「巧の日記」、伯教の窯跡調査に同行して、陶芸づくりを始めたという韓国の陶芸家の作品を見ながら、朝鮮半島、世界に散らばるコリアンの人々が、この展示に触れる日が来ればどんなにいいだろうかと思った。
「解放80年」の夏。浅川兄弟を鏡に自身のルーツの一端を辿ることができた。(瑛)