50代に入って思うこと
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先日、50歳の誕生日を迎えた。
40歳を超えてから、誕生日を迎えるたびに感じるのは喜びよりも焦りだ。「ああ、また何かを成さないまま時だけが過ぎていった」というような。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
そんなのは理想論だ。40を過ぎてもフラフラして判断に迷う。天命を知るどころか、自分が何者かも分かってない人間に不惑も知命もハードルが高すぎる。
もちろん、これは2000年以上前の、現代の歴史の教科書に必ず出てくるような大偉人が発したとされる言葉だ。生活環境も人の寿命も違う時代の人物の言葉は、「そうなればいいね」程度にとらえておいたほうがいい。
ある一定の年齢を境に、体力、記憶力などの能力はピークを越えて衰えていく。しかし、それを補う経験、信念は歳を重ねるごとに深まっていく。と言われるが、経験も応用力や柔軟性に結びつかなければ単なる「時代や変化への遅れ」だし、信念だって視野狭窄と紙一重ではないか。
しかしながら、老いや衰えは否定的にとらえられがちだが、加齢とともに深まる境地は必ずある。
自分自身の50代のテーマはタイムマネジメント。50代の目標がこれなのか、と思うところもあるが。残された有限の時間をどれだけ有効に活用するか。仕事、子育て、介護、その他もろもろ―。時の流れが速く感じるのは、いつも何かに追われているから。仕方のない部分も多いが、やらなくてはいけないことはなるべく効率的に(決して適当にはならず)こなしながら、自分が本当にやりたいことにリソースを割きたい。(相)