万博取材のこぼれ話
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悪天候の日に会場を訪れるという不運にみまわれた
イオ8月号では、日本で20年ぶりに開催された万博を取り上げた。社会的な関心が高いのは1千万人を超えた来場者数からも計り知れるが、一方で開催地の安全対策の不足や、海外パビリオンの工事費未払いなど問題は山積みだ。
「いのち輝く未来社会のデザイン」という現代日本の社会課題とはかけ離れたテーマもさることながら、ナショナリズムを誇示する場として機能し、帝国主義に根をもつ事でも知られるこの場所は人々の批判の対象でもある。
今回の企画は、そうした背景を鑑み、批評する対象としてまずは現場を訪ね、直接みて触れて感じること、そして社会がこの万博をいかに享受しているのかを探ることに重きが置かれた。
今日のブログでは誌面で紹介しきれなかった内容を少し紹介したいと思う。(最も紹介したい内容は、8月号で掲載されているのでぜひご一読いただきたい)

会場一帯を雨雲が覆っている
筆者が万博を訪ねたのは、6月下旬のこと。その日は台風の影響からか、行く道でも、場内でも度々ゲリラ豪雨に襲われるハードな一日だった。(ちなみに朝からSNS上ではゲリラ豪雨にちなんで「ゲリラ万博」がトレンド入りしていた笑)
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到着してからは、各展示が、いかに「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマを具現化しているかを確認することに問題意識を向け、国内パビリオンと日本の周辺地域である東アジアの海外パビリオンに対象を絞り巡った。
関西パビリオン、大阪ヘルスケアパビリオンの後に訪ねた三菱未来館。ここは映像がメインとなるパビリオンで、映像しかないといっても過言ではない。同館は1970年の大阪万博以来、日本で万博が開催されるたびに「未来」をテーマに出展してきたという。
メインシアターでは、「いのちの始まり、いのちの未来」を探る宇宙旅行のようすが上映されるのだが、公式HPによると、「この映像を通して『いのち』にまつわるさまざまな思いや不思議を共有し、一人ひとりがいのちの未来を想像する時間と空間を体験できる」のだという。
しかし鑑賞後に筆者は違和感を覚えた。
映像は、希望ある未来を想像するための前提となるであろう、「いまを生きる人々の命が保障されているのか」については全く触れないし、その点で問題意識を育むような知識は提供されないからだ。そんな「いのちの語り」に対する違和感を拭えないまま、シアターを後にしたのを鮮明に覚えている。
なぜ、この時の記憶が鮮明かというと、その直後に訪ねた中国パビリオンが、あまりにもそれと対照的だったからだ。

書物に書かれた内容など3Dパネルを使って中身を詳細に確認できる。(中国パビリオン)
中国パビリオンの入口では、大きなスクリーンが来場者たちを待ち構えており、ゲーム「黒神話・悟空」の制作者がこんな言葉で迎える。
「ここでは中国人の自然に対する畏敬の念を感じ、私たちの歴史と文化の伝承に触れ、中国による科学技術の追求および世界に対して担う責任を目の当たりにできます」
もちろん国力を誇示する場として機能している以上、見せたい歴史をみせているという側面はあるはすだ。しかし、それでも館内には歴史とその証人たち、そこから連なる現状を踏まえた社会の発展像が示されており、中国文明の変遷をリアルに体感できる歴史博物館のようになっていた。
◇
それから韓国パビリオンに向かった。ここはパビリオン入り口にある巨大スクリーンしかり、映像技術を駆使したつくりであることはわかったが、列に並ぶ程の魅力は館内では感じられなかったのが正直なところだ。
例えば、入場前に録音される来場者の声が演出に使われた第一館では、AIを駆使した照明と音楽、その声のコラボを体験できるらしいが、光と音が流れる空間に立ち尽くす数分間がなんともいえない退屈さを感じさせる。
また最後の第三館では、2040年の近未来の韓国を背景に、とある高校生とお祖父さんの物語が、3面マルチスクリーンに映し出されるのだが、「伝統・自然・技術・文化を通して未来社会に対する韓国の本気を伝え、人と人をつなぎ、継続可能な未来社会へと踏み出して行きます」というメインコンセプトは全く伝わらなかった。
その後、dialogue theater、飯田グループ×大阪公立大学共同出展館、フューチャーライフヴィレッジ 、未来の都市など国内パビリオンを順に回り、最後に日本館を訪ねた。(国内パビリオンは、悪天候の影響もあると思うが比較的少しの待機時間で入れた)

日本館の外観
日本館は、ホスト国として、万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」をプレゼンテーションするパビリオン。万博会場で出た生ごみを利用したバイオガス発電や先端技術を活用する「ごみの再生工場」、さまざまな分野で社会課題を解決する鍵として「藻類」に着目し人気のキャラクターたちを登場させたブースなど「あらゆるいのちと、いのちのつながりを重視」する日本のいまを伝えているのだという。
しかし日本館もまた、その他の国内パビリオン同様に、日本国内の社会課題とりわけ人々の生活実態を照らした展示にはなっておらず、「何をもって明るい未来を描けばいいのだろう」と不安な気持ちになったというのが率直な感想だった。
一方で今回、一日中会場を回りながら、たくさんの現地の人々と話し、その文化の細部を一面的にでも体験できた。
これまで知る機会のなかった文化に触れ、またそこに生きる人々の生活を想像し身近に感じられた(そんな気持ちになった)のは事実だ。

国際赤十字のパビリオン前に掲げられた看板タイトル「人間を救うのは、人間だ」をみていろいろと考え込んでしまった。
だからこそ思うのは、未来社会を描く上での提案は、私たちがたどってきた歴史と現状をより生活的な視点から振り返り、さらには身近な隣人を想像できる内容にならなくてはいけないということだ。
そして筆者たちのような、日本に暮らすマイノリティーたちも含めて、来場者がそれを目にした時、空虚な提案に感じることなく、共感できるものになるべきだろう。そうすれば万博という場所に、他者への理解促進という新たな息吹を吹き込むことができたのではないか。
そんな事を、外国人排斥が以前にも増して声高に叫ばれるようになったいま考えている。(賢)