万博を考える
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本誌8月号では大阪・関西万博と関連した企画を掲載した。
企画は記者が実際に訪れたルポ記事、万博を訪れた朝鮮学校児童・生徒、教員の感想、そして、明戸隆浩さん(大阪公立大学大学院准教授)の寄稿から成る。寄稿では、万博が開催されている大阪府内では一方で、朝鮮学校を助成金制度から除外するなど人権侵害的な状況が続く中、万博計画はいかに推進されてきたのか、万博と人権抑圧をどう捉えるか、そして、万博にいかに可能性を見出すかについて綴っていただいた。企画立案者ではないが、改めて振り返ると企画を掲載できてよかったと思っている。

大阪・関西万博のコモンズ館にあった展示物
私はある事象に対して一つの視点を提示するのが雑誌の役割だと認識しており、イオは在日同胞の文化・思想的な言論のプラットフォームであるべきだと考えている。
大阪・関西万博を観覧すること自体、批判的に捉えている人もいるが、朝鮮学校の子どもたちをはじめ、足を運んでいる、または、関心を向けている同胞たちはもちろんいる。ゆえに、ただイオで「扱わない」という選択肢には至らなかった。ただし、批判的な記事にしても万博協会にとっては宣伝広告になりえるので、その両面性は否定できないが。
夏目漱石は英文学を本で勉強していたが、実際に英国へ行ってみると、本で得た知識と現実との間に大きな隔たりがあることを痛感したという。もちろんかつての20世紀初頭と現代の情報化社会では、情報量はまったく異なるだろう。かといって、何かを批判的に捉えるうえで「実際に見る」ことの意義は今でもある。朝鮮民主主義人民共和国への訪問がその最たる例だ。
何より大事なのは、批判的思考をいかに養うか、だ。ぜひ本誌8月号の「イオ版・万博ガイド」を参考にしてほしい。
最後に、記事に掲載できなかった問題提起をしたい。
「朝鮮学校差別は、万博の理念に沿うのか」ー。2021年の東京五輪開催時の「朝鮮学校差別は、オリンピックの精神に沿うのか」という声に対して、同様の批判がいまなされている。ただし、状況が違うのは、万博不要論に対して、オリンピック不要論はあまり聞こえてこないことだ。
社会学者の吉見俊哉氏(東大名誉教授)「万博は産業のオリンピックで、オリンピックはスポーツの万博」だとのべる(『博覧会の政治学―まなざしの近代』中公新書、1992年)。
前掲書によると、近代オリンピックの父と言われるピエール・ド・クーベルタンは第二帝政時代のパリ万博で中心的役割を担った人物に影響を受けて国旗掲揚、国歌斉唱、開催国元首による開会宣言、メダル授与をオリンピックの中に取り入れていったという。1896年の第三回アテネ・オリンピックは万博の余興として開催されていた。

大阪・関西万博のコモンズ館内にて
その後、転換が起きたのはナチス・ドイツの時代である1936年に催されたベルリン・オリンピックだ。自らの「帝国」を神聖化するためにオリンピックを利用し、そこで聖火リレーや表彰式、壮大なスタジアムなどが誕生した。
オリンピックは「スポーツの平和の祭典」という言説が一般化したが、いくどとなくスポーツは政治的に利用されてきた。ナショナリズムの熱狂を呼び起こすスポーツイベントはまた、現代社会での諸問題を見えなくする。一方で、万博は環境問題などの地球規模の問題にともに取り組むというメッセージ性を強調しているという事実がある(環境問題を生み出し、資源を無限だと思い込み浪費した国々に対する批判が後景化してしまっているが)。
ここまでのべてある種矛盾するかもしれないが、かといって私はどちらも不要だと思っているわけではない。ただ、今回の万博にしても、オリンピックにしても開催地域に限らず、それ自体の存在意義を問うことも必要ではないか、ということだ。
次回のブログでは万博ルポの記事で掲載できなかったものを含めて「ブログ版ルポ」を掲載する。(哲)