「わたしと猪飼野~Yosugaから」と御幸森小学校
広告
月刊イオの3、4月号にかけて掲載された連載「わたしと猪飼野~Yosugaから」は、在日コリアンが多く暮らす大阪で公立小学校教員を長く務めた足立須香さんの歩みが綴られたエッセイだ。
月刊イオ2025年3月号「わたしと猪飼野~Yosugaから」上
月刊イオ2025年3月号「わたしと猪飼野~Yosugaから」下
全児童の3分の2がコリアルーツを持つ大阪市立御幸森小学校が閉校したのは2021年3月のこと。1990年代後半から大阪で取材をしてきた私にとって、「御幸森の閉校」は衝撃だった。それはこの学校にはコリアにルーツを持つ子どもたち向けの民族学級が営まれてきたから。大阪朝鮮第4初級学校のすぐ隣にある学校としても親しみを感じてきた。
「猪飼野」とは、大阪市東成区と生野にまたがる地域の名称で、その名は朝鮮半島からの渡来人が由来とされている。町名としては1973年の住居表示変更でなくなった。
大阪市生野区は、日本の自治体の中で住民に占める外国人の割合が一番多く、猪飼野を中心に在日朝鮮人が多く暮らしてきた歴史ある街だ。御幸森小は、1学年1クラスという単学級が増えていることから廃校が決まった。
歴史あるこの地域で、民族学級がある公立学校が門を閉めるなんて…。せめてこの学校の尊い実践を活字に残したく、この地域を地道に取材してきたSさんに相談したところ、大阪市生野区で「まちの拠り所~Yosuga」を切り盛りする足立須香さんを紹介いただいた。Yosugaは足立さんのお名前からとった名前だ。
御幸森小学校の民族学級の誕生は1948年の「4・24」にさかのぼる。
1948年、日本政府は朝鮮人の子どもの「民族教育」を禁止し日本の教育を受けるよう命じ、各地の民族学校が次々に閉鎖された。しかし大阪では民族教育の復活を望む朝鮮人と日本市民の働きかけにより、50年に大阪府知事と朝鮮人側との間に「覚書」が交わされ、その覚書には民族学校の再建と民族学級を認めるという内容が含まれた。これにより在日朝鮮人児童・生徒の多くいる大阪府内33の日本の小中学校に36人の朝鮮人教員が公費負担で措置され、「民族学級」が誕生した。
72年には大阪市立長橋小学校に「72年型」民族学級が開講、以後市内に民族学級は広がっていく。88年には御幸森小学校に民族学級が設立。当時は公費負担ではなく外国人保護者会(当時)が招聘したボランティアによる4,5,6年生への指導だった(毎週土曜)が、92年から公費負担の教員が措置され、97年には常勤講師のいる民族学級が全学年に開講された…。(連載下から)
御幸森小学校は、長年にわたる民族学級の実践を通して、国連「子どもの権利条約」を具現化した実践を行ってきたことがユネスコ(国連教育科学文化機関)に認められた「大阪市初のユネスコスクール」でもある。この尊い実践を成し遂げた教職員や地域の人たち。連載には、御幸森の実践をこれからも大阪で続けていこうという足立さんの強い意志が貫かれている。
現在御幸森小学校は、隣の学校と統合され、大池小学校となったが、現在も民族学級(国際クラブ)の活動は続いている。
…民族学級の有り様は、時代の移り変わりやさまざまな事情で変化していくと思うが、「猪飼野」の真ん中にあった御幸森小で行われてきた多文化共生教育の実践、とりわけ民族学級の存在は、これからも「国際都市OSAKA」の象徴的存在であることに変わりはなく、引き継がれていくべきだと思っている。猪飼野は1600年前から朝鮮半島との縁があった地域なのだ。私は今、23年に開設された「大阪コリアタウン歴史資料館」の企画チームに地域住民として参加している。
…差別をなくす努力をするのは、差別する側にある。出会うことでつながりができ、その中で共に話し合い考えることが大事だとこの町が教えてくれた。すぐに結果や結論がでなくても、関わり、対話を続けていきたい。そのために2018年退職後に「まちの拠り所~Yosuga~」を開所した…。(「わたしと猪飼野~Yosugaから」下から)
足立さんは、御幸森小が大阪朝鮮第4初級学校(23年に大阪朝鮮初級学校と統合)とラグビー交流を重ねた温かいエピソードについても触れている。在日朝鮮人の歴史と悩みに正面から向き合ったいち教師の言葉にぜひ触れてほしい。(瑛)
※足立須香さんの記事が載った月刊イオは、以下からお求めいただけます。
月刊イオ定期購読フォーム
https://www.io-web.net/subscribe/