17年ぶりのウリハッキョ⑨保護者補助金を生んだ大田区
広告
ハッキョのある東京都大田区は、日本で初めて朝鮮学校保護者への保護者補助金が支給された場所です。支給されたのは日本が国際人権規約を批准した翌年の1980年でした。
補助金は、地元の同胞たちはもちろん、ウリハッキョを支援する日本の議員や市民たちによって実現されたのですが、運動のきっかけは、老朽化した校舎の補修問題でした。
校舎の補修には当然、多額の費用が必要になります。保護者や地域同胞が頑張って資金を集めるのですが、それだけではまかないきれません。そこで大田区の同胞たちは区を訪れ、援助金を出してほしいと要請を重ねていくのですが、その過程で保護者の中で「日本人と同じように私たちも納税の義務を果たしている。当然、それに見合う補助の支給を受ける権利がある」という意見が出たのです。そして、翌80年1月から教育会とオモニ会、保護者を中心に、「保護者補助金」を獲得するための運動が大衆的な規模で始まり、署名運動が始まりました。
当時を回想した、韓鐘萬・教育会顧問の文章があります。
「オモニたちがよく頑張りました。真冬の寒い時期にもかかわらず家事やパートで忙しいオモニたちが、近辺の日本の主婦たちに署名をもらい、また区労協傘下で女性が多く働く平和島競艇の婦人組合では1万5000人分の署名や支持支援を得ました。また国会や区の議員、商店街の役員にまで範囲を広げ、補助金支給の必要性を訴えました」(「在日朝鮮人の民族教育の権利について」より)
大田の同胞たちは5万人の署名を集めて区議会に提出しました。民族教育支援の声は議会を動かし、ついに80年6月13日の本会議で朝鮮学校への補助金支給が正式に決まったのです。
補助金支給の動きは都内に広がります。1990年には23区すべてに朝鮮学校保護者への補助金制度が設けられた経緯を見ても、大田で初めて制度が生まれた重みを感じます。
しかし、30年以上たった今、保護者たちの前には東京都の補助金ストップという厳しい現実が突きつけられています。
東京都は1995年から支給している「私立外国人学校教育運営費補助金」を2010、11年度と2年連続で凍結し、東京朝鮮学園へ補助金を支給していません。
補助金カットの動きは、大阪、宮城などでも起きており、朝鮮高校の無償化排除の動きと大きく関連しています。
石原都知事は、朝鮮学校の教育内容を問題視し、「徹底的に調査する」としています。
外国人学校を支援する法律がまったくない日本で、なぜ朝鮮学校に対してだけ、これほど強い教育内容のチェックが行われるのか―。他のインターナショナルスクール、宗教教育を行う私立学校に対して、戦時中でもない今日、同様のことが果たして行われたでしょうか。
保護者補助金制度の発足から31年。30年とは世代が一巡する時間です。
在日朝鮮人をめぐる状況は一進一退を繰り返してきました。
現在の状況は祖国解放後、雨後の筍のように増え続けた朝鮮学校が、GHQと日本政府によって武力で閉鎖された1948、49年の状況を彷彿とさせます。大げさだと笑う人もいるかも知れませんが、私は保護者として相当の危機感を感じています。
目下、東京都の朝鮮学校では都知事が補助金を引き続き支給するよう、署名を集めています。ぜひご協力ください。(瑛)