出張月記 Vol.7 名前、家族、学校
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先月は、京都・兵庫・大阪への出張があった。

出張からの帰り、新幹線のホームには朝鮮選手団が参加予定のアジア大会の宣伝ポスターが貼り出されていた。
先週18日に発売されたイオ4月号特集「『在日』を生きる、私の名前」に関連した取材、さまざまな家族のかたちを紹介する連載「家族のカタチ」、そして地域青商会が独自に企画した学校チャリティイベントの関係者を訪ねた。テーマは「名前」「家族」「学校」とそれぞれ異なる。だが、どれもルーツやアイデンティティを問い直すという点で共通しており、取材日が連続していたこともあって、自然と自分自身を振り返る時間にもなっていた。
今回はその中でも、「名前」に関する取材について書きたいと思う。
ある同胞は「名前はアイデンティティの象徴」と語り、朝鮮名を本名として使うことや、戸籍から通名をなくした経験を話してくれた。一方、別の同胞は、朝鮮名が本名でありながらも、仕事をするうえで「受け入れられている」通名を使うことは「自然な選択」だと語った。
今回の取材期間には、民族学校に通ったことのない同胞たちが、日本の公立学校で有志の日本人教員が開く「民族クラブ」や「朝鮮語クラブ」を通じ民族的なアイデンティティを育んでいった経験談にも触れた。生い立ちの中でルーツに触れる体験があるかどうかが、名前への向き合い方や生き方に大きく影響する―そのことを改めて感じた。
外国籍であることの生きづらさが増す中、ある同胞のこんなエピソードも耳にした。
「ママ友にシングルマザーがいて、思うような仕事に就けていないこともあってか、『外国人に職を取られている』とかのじょが言っていた」。
民族名で暮らしていると、「いつこっちに来たの?」「どおりで韓国語が上手いね」「日本人と同じですよね」―そんな言葉が、日常のあちこちで付きまとう。「悪意のない」言葉が、トラウマとなり心に根づくこともある。

タイトな取材日程の合間に食べたオムライス。心の余裕の無さの表れか、今回写真がこの2枚しかない。
今回の取材で、ある保護者の言葉が今も強く心に残っている。
在日コリアンと日本人の間に生まれたダブルルーツを持ち、国籍は日本、日本名で生きてきたその同胞は、在日コリアンの夫との間に子どもをもうけた。「どちらのルーツも大切にしてほしい」という夫婦の思いから、戸籍上は日本名でも、日常生活では民族名で過ごしてきた子どもたち。その子どもたちと向き合う中で、何度も何度も問い直したのが「私は何者か」という問いだったという。
その問いに向き合うことがいかに大切で、それでいて難しいことか。取材中に涙するその姿に、深く考えさせられた。
朝鮮名が、ありのままの自分が、受け入れられにくい社会の土壌がある。それでも問い続けることをやめないその親子の話を聞いて、同じように自身のアイデンティティや生き方を前に悩み考えているであろう多くの同胞たちの顔が浮かんだ。
名前を奪われ、それを取り戻し回復してきた在日朝鮮人の歴史。この歩みを、改めて大切に受け止め、人々が理解し合う社会の土壌を耕していきたい。
(賢)








