違和感、異質性、隔たりのありかを問い続ける営み
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2月の連休中、横浜美術館を訪ねた。目的は、現在開催中の企画展「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」(~3月22日)。リニューアルオープン記念展の最後を飾る展示とのことだったが、筆者自身、同美術館への訪問は初だったため、それも相まって行く前から期待は高まった。

横浜美術館で開催中の企画展「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」(~3月22日)
全体を通して印象に残ったのはやはり、在日朝鮮人作家たちが手がける作品が多数展示された1章「はざまに―在日コリアンの視点」そして5章「ともに生きる」だ。「日韓」を掲げながら、展示の冒頭と終章を「在日」が担う。その配置そのものが、企画の枠組みを問い返しているようにも見え、作品とその説明、また並んだ順序や構図など全般的に興味深い点が多かったように思う。
1章の展示空間では懐かしい人に「再会」した。ナム・ファヨンの映像作品『Against Waves』(2019)は、朝鮮舞踊のルーツとなる崔承姫の足跡を追うなかで、朝鮮舞踊を継承する人々にフォーカスしており、そこに恩師が出演されていた。

広々とした館内
民族的なアイデンティティや情緒を育むうえでの朝鮮舞踊の役割を語る姿や、体育館で一人、基本動作を踊られる姿、また東京中高舞踊部の練習を指導する姿も出てきた。プッ(북、朝鮮の太鼓)が鳴り響く音、先生の口から発せられるチャンダン―。朝鮮舞踊に接すると決まって湧く何とも言えない高揚感を久しぶりに感じ、身体は覚えているもんだなと懐かしくうれしくなった。一方で、「私には見慣れているものが作品になる不思議」さも感じ、1章がまさに、様々なまなざしが向けられる「在日」という存在を考える空間であった。
企画展を結ぶ5章「ともに生きる」。この章には、「現在、そして未来を『ともに生きる』ための気づきを、作品からみつけてほしい」との思いが込められたそうだが、同章のはじまりにある説明文が目を引いた。

残念ながら1章と5章は撮影NGだった。写真は3章の展示風景。
「日本と韓国はこれまでもこれからも、隣国という特別な間柄です」。人々の生き方やコミュニティのあり方が多様化する真っ只中にあるいま、また「狭間」に生きる人々の象徴として在日作家たちの少なくない作品が展示されたこの空間で、結びとなる終章の説明が、最終的に日韓の枠組みに視点を落とすよう促すものになっていた。「ともに生きる」を国家という枠組みで語ること。それ自体が、ある種の限界を生んでしまうのではないか―そんな違和感が残った。
5章には、富山妙子さんの作品も並んでいた。院生時代、資料整理のアルバイトでアトリエに通っていた頃を思い出す。戦争や植民地主義を問い続け、多くの作品を世に送り出した作家だったが、筆者の記憶に強く残るのは別の姿だ。作業がひと段落すると決まって野菜のポトフを振る舞ってくれ、「たくさん食べていきなさい」とニッコリ笑う。その後、先生や研究者の先輩と共にする世間話の時間は、筆者にとっては知らない知識を積む貴重な時間だった。

残念ながら1章と5章は撮影NGだった。写真は3章の展示風景。
少し私的な回想になったが、企画展の5章には、その他にも、2015年当時大きな反響を読んだ、朝鮮大学校と武蔵野美術大学という、塀を隔てて隣り合う二つの大学の学生たちが手掛けたプロジェクト作品『突然、目の前がひらけて』(2015)など見ごたえのある作品がたくさんある。
朝鮮半島、朝鮮と韓国、在日コミュニティ、朝鮮学校などをテーマにした作品たち―。今回の企画展では、出品した作家の多くが、自身が抱く違和感や異質性、隔たりのありかに向き合い、絶えず問い続けていた。その営みにフォーカスした点に同展の価値があると感じた。

場内をじっくりと見て回るには、1日では足りない充実具合だった
イオ3月号では、企画展「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」について、古川美佳さん(朝鮮美術文化研究)にご寄稿いただいた。訪問予定の方は、ぜひこちらも一読いただきたい。
(賢)








