vol.22 「時の務め」に向き合う 虐殺から100年
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関東大震災後の朝鮮人虐殺は、歴史改竄とレイシズムとの闘いの最前線だ。国や東京都は事実すら認めず、社会に蠢くレイシストをエンパワーする。歴史否認者らは今年9月1日、横網町公園の追悼碑前で集会を申請、それを都が許可するに至った。100年の節目に、である。市民の対抗措置で最悪の冒涜は阻止したが、事態はそこまで来ている。
犯罪は贖われぬまま傷口を広げ続けているが、1923年は遠のき、証言を聴いた者も鬼籍に入っていく。こうした中、記憶は如何にして伝えられるのか。単なる情報伝達ではない、人と人を繋ぎ、対話を促し、互いの内面を耕し、他者への想像力を喚起する継承の在り方は。
翌2日、墨田区八広、荒川河川敷での追悼式で、その可能性を示す試みがあった。在日と留学生、日本人の若者らでつくる「百年」による、証言の朗読である。
追悼式のはじまりは、小学校教員だった絹田幸恵さん(1930年生、2008年死去)が1977年ごろに聴いた震災時の証言だった。「旧四ツ木橋の下手の河原では10人くらいずつ朝鮮人を縛って並べ、軍隊が機関銃で撃ち殺したんです。橋の下手に三か所くらい大きな穴を掘って埋めた。酷いことをしたもんです。いまでも骨が出るんじゃないかな」。
絹田さんは友人知人と会を立ち上げ、1982年に初めて追悼式を催し、河原を試掘した。骨は出なかった。殺害から二ヵ月後、警察が持ち去っていたのだ…。(続きは月刊イオ2023年11月号に掲載/定期購読のお申し込みはこちらへ。https://www.io-web.net/subscribe/。