vol.5 私がオバサンになったら
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私がオバサンになったら(生野朝鮮初級学校付属幼稚班 金鮮一先生)
振り返ると、20歳で現場に出た私は、当時の教員たちの中ではずば抜けて若く、文字通りの「お兄さん」でした(歌も体操も下手くそでしたが)。新任時代は保護者方からも大変可愛がっていただき、まるで自分が人気者のような錯覚に陥ったのです。
そんな私の目を覚ましたのは、他でもない園児たち。現場に出て5年ほど経ったある日、入園して間もない3歳の男の子が、私を呼ぶ時に「ねぇねぇ、オジサン!」と言ったのです。決してふざけているわけでもなく、純粋無垢な瞳で見られると受け入れざるを得ません。それをきっかけに、私を「オジサン」と呼ぶ風潮が園内で確立されました。弱冠25歳にして、私は「オジサン」になったのです。
あれから約10年。三十路を超えた私は心身共に完全なオッサン。
ある日、私が担任するクラスで「カップルごっこ」という謎のごっこ遊びが流行りました。男児と女児が手を繋ぎながらラブラブオーラ全開で園内を歩き回るのです。そこで女児に言ってみました。
私「ソンセンニンもカップルになりたいなー」/女児「あかん」
私「なんで?」/女児「ソンセンニンと結婚したら、すぐおじいちゃんになってまうやん!」
私「ソンセンニンはまだまだお兄さんやで!」/女児「でもなー、私がオバサンになったらソンセンニンはオジサンやで!」
女児が知るはずもない名曲が頭をよぎる―。言葉の愛らしさと同時に、オジサン呼ばわりが悔しく、通じるはずもないと知りつつも「古いわい!」とツッコむしかなかったのです。