山田洋次監督の映画『学校』シリーズを完走
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この冬、山田洋次監督の映画『学校』シリーズを1から4まで見た。
以前のブログで幼少期に映画『学校Ⅰ』を観たと綴ったが、もう一度1~4までを観てみようと思い立ったのだ。
(ちなみに、映画『学校』4部作はAmazonプライムのプラス松竹というサービスに加入すれば、全作お得にみれる)
実際にまた『学校Ⅰ』を鑑賞すると、面白いことに大人になって感動する場面が違っていた。それでもまた深く沁みる映画であることには間違いなかった。夜間中学で様々な理由から学びたいと集った人々を通し、隣にいる自分とはまた異なる境遇の誰かの存在に改めて気付かされた。
『学校Ⅱ』は北海道の養護学校を舞台にした映画だ。冒頭から私自身も大ファンだった安室奈美恵が本人役で登場していてびっくりした。また、主人公の娘役として浜崎あゆみも出演していた。そういえば当時、浜崎あゆみが『学校Ⅱ』に出演しているとは聞いていて、観たいな~と思いつつ私は叶わずにいたのを思い出した。こうして何十年の時を経て、偶然にも観れたことに、思わずニヤッとしてしまった。本編の内容とはどれもずれてしまったが、映画の内容は特別支援を要する子どもたちの教育に真摯に向き合う人々を描いていて、色々と考えさせられ、深く感動した。新米教師が段々と変わっていく様子に、学校という場の素晴らしさをまた感じることができた。余談だが、映画が制作されたのが1997年で、ちょうど私自身の青春時代と被っていて、当時の世相などもとても反映されていた。この映画を観て、当時流行っていた「午後の紅茶」が無性に再び飲みたくなった(笑)。
『学校III』は職業訓練に通いはじめた中年女性の話しだった。主演を大竹しのぶが演じている。いまの自身の年齢と近い女性が主人公ということもあり、感情移入して観てしまった。不景気のなか、リストラをされ職業訓練校に通う。再出発をかけ職業訓練で勉強する仲間同士、次第に仲間意識が芽生えてくるなど、大人たちの心の機微が丁寧に描かれていて、より胸にくるものがあった。
『十五才 学校IV』は、またうってかわり、不登校児の冒険を描いた作品だった。
(以下ネタバレ少し含む)
冒頭の主人公のセリフ「学校はいやだ。制服を着て、教室にいるだけでいやだ。型にはまった先生のしゃべり方もいやだ。なんで学校に行かなきゃいけないんだ。大人になって役にたちそうにもないことを、なんで勉強しなきゃいけないんだ。お父さんにそういったら、いきなり殴られた。」
(冒頭のこのセリフから、なぜかわたしは涙がでそうだった。)
家出をして、ヒッチハイクをしながら鹿児島県の屋久島縄文杉を目指す15歳の少年。様々な人々と道中出会っていく。登山で知り合った女性からはこう言われる。「いいんだよ。学校に行くか行かないかは君の自由なんだから。ただね、人間は一人前にならなきゃいけないのよ。どんな方法であれ、一人前になる努力をしなきゃいけないの」「一人前って、どういうこと?」と問う少年。「さあ、屋久杉に聞いてみたら」と明言を避ける女性。少年は冒険の旅をし、人々と触れ合う中、少しずつ「一人前」の意味を問い続けてるようにみえる。終盤、心境にも変化が表れる。
『十五才 学校IV』は26年前の作品だが、いま観ることができて、よかったとおもう程、清々しい映画だった。人は、人の中でこそ、色々学び、感じ、成長できるのだなと感じた。
映画『学校』シリーズはどの作品もその時代を感じることができ、また、登場する人物たちがとても人間くさく、魅力的だった。
特に山田洋次監督が映画のなかで描く女性たちが、私はとても好きだと感じた。どの女性たちも、日常の中にどこにでもいそうな女性で、悩み、傷つき、涙をながしながらも、時に魅力的な笑顔もみられ、人々のなかで懸命に日常を生きている姿を描いている。
最近のドラマや映画は自分とかけ離れた日常を現実逃避的に鑑賞することも多いのだが、山田洋次監督の作品は、日常の延長線上にあり、鑑賞したあとには私ももう少し踏ん張って頑張ろうと力をもらえる。
月刊イオ2026年1月号で山田洋次監督にインタビュー取材した記事の抜粋。
「大事なことは人間を描くこと。人間ってこうなんだよ、あんな人間もいて、こんな人間もいるんだよ、と。その人間を目の動きや手の動きなど端々にいたるまできちんと描く。これが私たちの仕事です」(山田洋次監督)
(山田洋次監督インタビューが掲載されている2026年1月号はAmazonでも購入できます。)
人間を真摯に見つめ描き続けている監督の作品を今後もたくさん鑑賞しようと思う。(愛)








