40年ぶりに昔の家を訪ねた
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9歳まで通っていた小学校
今年の夏、昔に住んでいた町を訪ねたり世話になった人に会う小旅行を行った。
まず行ったのは生まれて9歳まで住んでいたところ。住んでいたのは57年前までで、上京し社会人になった後、出張の合間に訪ねたことがある。でもそれも40年ほど前だ。今回、40年間の大きな変化を見ることになった。
最寄りの駅に降りると駅舎がまったく変わっていた。駅の位置関係もずいぶんと思い違いをしていた。
駅からすぐ近くの3年生まで通っていた小学校に行く。工事中で昔の面影はまったくない。5歳の時に通った幼稚園も大きく変わっていた。

5歳の時に通った幼稚園
むかし住んでいた家を訪ねる。住んでいたときは平屋の家だったが40年前に来た時にすでに2階建ての家に建て替えられていた。そのときにあった近所の小林さんの家が今回なくなっていた。当時の家の周りの知り合いはすべていなくなった。

9歳まで住んでいた場所。新しい家が建っている
この町に住んでいた9歳までは日本の名前を名乗っており、自分が朝鮮人である自覚もまったくなかった。そもそも民族という概念もなかったと言える。
9歳の時に祖父母の家に引っ越したのを契機に名前を本名に変えた。変えたと言っても本名の漢字を日本語読みにしたものだ。親の方針で変えたのだが、それでもその時から朝鮮人である意味、朝鮮人として生きる生活が、どっと自分のなかに流れ込んできた。
この町を訪ねるのも今回が最後になるという気がする。
今回の小旅行で世話になった人にも何人か会ってきた。
同じ時に同じ出版社に入社した同期。かれとは一時、一緒に住んでいたこともあり、いろんなことで世話になってきた。今も定期的に会っている。
41年前に一緒にウリナラを訪問した先輩にも会うことができた。
短くない記者生活の中でもっとも印象に残っている取材が入管問題、難民の問題だが、その取材のきっかけを作ってくれた日本人にも連絡を取り飲食を共にすることができた。

平壌冷麺
最後に訪ねたのが新長田にある元祖平壌冷麺屋。店の4代目にあたる友人とも会い少し話をすることができた。この冷麺はまた繰り返し食べたいと思っている。(k)