祖国から171回目の教育援助費と奨学金
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1ヵ月ほど前の話で恐縮だけれど、金正恩総書記が在日同胞に教育援助費と奨学金を送った。
長いものでないので、4月16日の朝鮮新報の記事全文をそのまま紹介する。
「171回目、2億8702万円
14日発朝鮮中央通信によると、金正恩総書記は金日成主席の生誕113周年(15日)に際して、在日同胞子女の民族教育のために日本円で2億8702万円の教育援助費と奨学金を総聯に送った。
1957年から金日成主席と金正日総書記、金正恩総書記が送った教育援助費と奨学金はこれまで計171回にわたり、総額499億8859万390円に及ぶ。」
1回目の教育援助費と奨学金が送られてきたのが1957年4月8日のことだ。その額は1億2千万円を超える莫大なもので、現在の貨幣価値にするとどれほどになるであろう。
朝鮮戦争で廃墟となり戦後復興事業の真っただ中、そんなときの教育援助費と奨学金。当時の在日朝鮮人の感激はどれだけ大きかっただろうか。
祖国からの教育援助費と奨学金は在日朝鮮人の民族教育にとって本当の意味で生命水となった。
祖国解放直後から始まった民族教育だったが、GHQと日本当局の激しい弾圧により、各地の朝鮮学校は閉鎖されたり「日本学校化」を余儀なくされた。
1955年の総聯結成後、民族教育は再生の道を歩み始めるが、その時に決定的な役割を果たしたのが祖国からの教育援助費と奨学金だった。
2026年に創立70周年を迎える朝鮮大学校の歴史を「〈70年の自負、100年への自信〉」と題して朝鮮新報で連載している。その中からいくつかを紹介したい。
「1957年4月に祖国から送られてきた教育援助費と奨学金であった。/祖国の支援が民族教育を活気づける中、第2次教育援助費(同年10月)の全額が、朝大の学舎建設費に充てられた」(連載第1回)
「1957年10月、特大の吉報が届いた。金日成主席の配慮により、同年4月に続いて第2次教育援助費と奨学金が送られてきたという感激的なニュースだ。1億円(当時)を超すその全額が、朝大の学舎建設費に充てられることになった」(連載第2回)
「朝大創立から3年目となる1959年、祖国からの教育援助費と奨学金をもとに給費生制度が設けられ、祖国への帰国運動も始まった」(連載第4回)
以上のように朝鮮大学校の発展においても教育援助費と奨学金が大きな役割を果たしたことがわかる。
日本の奨学金制度には給付型と貸与型がある。給付型はお金を返す必要がない奨学金だが、多くの人が利用しているのは返済する必要がある貸与型だ。
貸与型は実質的に「借金」である。社会に出た後、働いて返済していかなければならない。そのために様々なトラブルが起こっている。
祖国からの奨学金は給付型で返済する必要がない。
私も学生時代、祖国からの奨学金の恩恵を受けていた。今から40数年前、金額は明かさないがその額は非常に多くて生活するのにたいへん助かった。
祖国からの奨学金の給付を受けたことがその後の人生の進路を決める大きな理由のひとつになった。(k)