筆者との28年ぶりの再会
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昨年、月刊イオで1年間連載した「1世の知恵袋」。1世同胞たちが異国の地・日本でいかにたくましく、いかに知恵をはたらかして生きてきたのかを2世の筆者が綴ったもので、読者からも好評をいただいた。
この連載には、2人の筆者と1人のイラストレーターと2人の編集者が関わっていた。
先日、「1世の知恵袋」に関わった5人が一堂に会し食事をする機会があった。2人の筆者が共に、もうひとりの筆者、素晴らしい絵を描いてくれたイラストレーターとお会いしたいとの要望があったことから実現したものだ。筆者を担当し間に入った(相)さんがいろいろと動いてくれた。
私は特に何もしていなかったが、イラスト担当編集者として参加させてもらったのだ。
連載記事は大体、筆者と担当編集者の2人、イラストが入っても3人によって作られていく。「1世の知恵袋」のように、5人の人間が関わる連載というのは珍しい。連載が終わった後に、全員が集まって食事会がもたれるということはもっと珍しい。本当にありがたいことだ。
筆者の金さんは、わざわざ大阪から駆けつけてくださった。そして、金さんとは実に28年ぶりの再会となった。
私が某月刊誌の編集部(それにしても私のブログにはこの某月刊誌がよく出てくる)にいたときに原稿をお願いしていたのだ。その頃、某朝鮮高校の教員をしておられた金さんを学校に訪ねたことを今も良く覚えている。
私の依頼で金さんは、某月刊誌に「朝青班長」という小説を3回にわたって連載してくださった(87年3~5月号 ちなみに主人公の名前は、当時の金さんの教え子からとったとのことで、その人物は現在同胞コミュニティ活性化のために活躍しており、フェイスブックなどでは有名人)。
朝鮮学校の教員はたいへん忙しいので、普通の原稿をお願いするときでもずいぶんと恐縮するのだが、小説という難しい原稿の依頼を、どのような経緯で金さんにお願いするようになったのかはまったく記憶していない。たぶん「ノリ」で頼んだのではないかと思う。そういうことはたまにある。
28年前は、けっこう年配のソンセンニム(先生)だという感じでいたが、今回改めてお年をお聞きすると、当時、金さんはまだ40歳くらいだったということがわかり驚いた。
小説の連載が終わってから、ずっとお会いする機会がなかった。それでも、いろんな出版物でお名前を拝見することが多く、金さんのことはずっと重要な筆者として私の頭の中にあったのである。
金さんも私のことをよく覚えていてくださって、今回の再会を本当に喜んでくださった。
今回の再会を契機に、これからも金さんにいろいろと原稿をお願いしようと思っている。本当に良い食事会で、編集者としてとてもうれしかった。(k)