柳美里さんの新刊2冊を読みました
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7、8日の連休中、(麗)さんは「オタクな日々」を送ったようですが、私は読書を楽しみました。月刊イオで「ポドゥナムの里から」を連載していただいている柳美里さんの2冊の新刊、「沈黙より軽い言葉を発するなかれ」と「自殺の国」を読みました(写真)。
「沈黙より軽い言葉を発するなかれ」(創出版 1400円+税)は対談集で、柳美里さんにとって初の対談集だそうです。「自殺の国」(河出書房新社 1400円+税)は女子高生の自殺を扱った小説です。
「沈黙より…」で柳さんは8人の方々(和合亮一、岸田秀、岩井俊二、山本直樹、原一男、佐藤優、今野勉、寺島しのぶ)と対談しています。個人的な感想として一番最初の福島に住む詩人の和合亮一さんとの対談が頭一つ抜けて面白かった。
読んでいて印象に残った言葉のやりとりがいくつもあったのですが、そのうちの一つだけ紹介したいと思います。
和合さんの、“正義とか誠実さとかそういうものを我々は見失っている。何が正義なのかを、きちんと示していく在り方。みんなが不安に陥っている原因の何分の一かは、誠実さ、あるいは正義を見失っていることによるのかもしれない”という内容の言葉に、
柳さんは、“正義は、自分の立ち位置によって違ってくる”、“善悪、正邪に「絶対」はなく、「度合い」ではないかとも思えるのですが”としながら、“それでも、これは認められない、許せない、これだけは踏み外してはいけないという「人倫」というものがなければ、自分の足場すらあやふやになってしまう。自分の立ち位置によって左右される「正義」というのは、本来の「正義」ではないわけで、ここ何年か、「誰のものでもない正義」が存在し得るのかどうかを、自分に問い続けてる”という内容で答えています。
8人のうち前半の4人が3.11(東日本大震災と原発事故)後に行われた対談で、そのうちの最初の3つが震災・原発事故のことを主なテーマとしていました。対談を読んでいて、3.11の前後での、柳さんの思考のいろいろな変化を垣間見ることができたような気がしました。全体として、柳さんがあまりしゃべらない、対談相手が多く発言している回が面白かったです。
「自殺の国」は読み終えた後、自分自身のなかでまだ消化しきれていません。だから、何かまとまったことを書けないのですが、「自殺の国」を読み終えた後、すぐに思い出したのが、今年の月刊イオ5月号で、「ピョンヤンの夏休み」の出版を受けて柳美里さんにインタビューしたことでした。
インタビューの最後、「朝鮮に行ったことで、作家としてどのような影響がありましたか?」という質問に柳さんは、「よく言われるのは、生きることに対して肯定的になっているということです。それまでは、どちらかといえば否定的というか、闇の部分を書いていたのですが、肯定的で明るい読書感があると。」と答えています。この言葉が思い出されました。
主人公の女子高生のおかれている世界は、現在の日本社会の一つの縮図なのでしょうし、その世界は、和合さんの言う、正義や誠実さというものを見失ってしまっている世界です。そんな世界におかれている人々は死への境界を自ら飛び越えてしまう。現実に、日本では十数年にわたって、年に3万人以上の自殺者が出ています。
柳さんは今、小説(書くこと)を通じて、「誰のものでもない正義」を示しつづけようとしているのではないか。特に若い人たちに向かって。柳さんがこれから書き続けるものに、さらに注目したいと思わせる一冊でした。
ともかく、「沈黙より軽い言葉を発するなかれ」と「自殺の国」、共にひじょうに面白い本なので、ぜひ読んでもらいたいと思います。(k)