ウリハッキョ
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私の母は長野初中級学校が創立された当初からの教員だったという。
聖高原という山深い場所で、ホテルだった建物を教室として使っていたそうだ。
一度母にその付近まで連れて行ってもらったことがあったが、こんな何もないところで!?というくらい、山奥だった。
冬になると、雪がありえないほど積もり、教員たちは雪かきに一苦労だったという。
父もその時教員だったそうで、こんなエピソードを聞かせてくれた。
ある日、学校で寄宿舎生を寝かしつけていると、騒音が聞こえてきた。その音の出る方へ行ってみると、日本の高校の卒業謝恩パーティーだそうで、聞くと毎年恒例の伝統行事だという。それでも父は幼い子どもたちが眠れないからと、なんとか撤収してもらい、その高校の伝統行事はなくなってしまったんだと苦笑いしながら、話してくれた。
その学校も40周年を迎え、再来年の春には、姉の子どもたちが通うことになる。
子から子へ、そしてそのまた子へ繋がっていく、そのポイントである「学校」は、なくてはならない場所だと切に思う。(愛)