原爆と敗戦の夏、加害者としての目
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78年前の8月6日、9日は広島市と長崎市に米軍によって原爆が落とされた日です。
広島で約14万人、長崎で約7万4000人が死亡し、その後も被曝の後遺症などで犠牲者は増えています。
当時、広島では数万人の朝鮮人が被爆したと言われています。日本が朝鮮を植民地支配したことにより多くの朝鮮人も犠牲となりました。
この季節になると、日本のテレビや新聞などで「終戦」(けっして敗戦とはいいません)の特集や原爆のことが多く取り上げられますが、朝鮮の解放という視点もないし朝鮮人被爆者のこともほとんど伝えられません。
先日、活動家集団 思想運動が発行している月刊新聞「思想運動」の8月1日号を手にとりました(写真)。
関東大震災から100年にあたり、朝鮮人虐殺のことや朝・日大学生一大行動「トルパプロジェクト」について報道しています。
その新聞の1面に栗原貞子さんの詩「ヒロシマというとき」が掲載されています。詩の一節を紹介します。
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
そして、中面の解説には次のように書かれています。
「何よりも栗原は被爆者の一人として、広島への原爆投下が、アジア太平洋の何千万、何億もの人びとに比類のない残虐さで襲いかかった大日本帝国の歴史とけっして切り離せないこと、そして、その侵略・植民地支配の過去が清算されていないことを告発しているのだ。」
「強制連行・強制労働のために日本に連れてこられ、何重もの被害を被った朝鮮人被爆者の存在が一貫して無視・放置され続けるという残虐な状況が生まれたのである。」
今年、日本のマスコミは敗戦のこと、原爆のことをどのように伝えるのでしょうか。期待しないで注目したいと思います。(k)
※月刊新聞「思想運動」、ぜひ手に取ってください。http://www.shiso-undo.jp/