悪夢と仕事
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毎日、寝ているときに夢をみる。
前にも書いたかと思うけれど、いま抱えている問題がストレートに夢に出るので、非常に嫌だ。楽しい夢も見ているのかもしれないが、そういう時はたいてい朝起きるとどんな夢だったのか忘れている。結果、悪い夢だけ覚えているということになる。
何か普段よりちょっと大きな仕事を処理する、ちょっと厄介な仕事が迫っているという時に、その仕事をやっている夢をみることが多い。ちょっと前もそんな夢をみた。夢の中でいつものように仕事がうまくいかず、うなされるように目が覚めた。目が覚めて、楽しいことを考えようとするのだが、眠りに落ちていく過程で考えている内容がだんだんとその仕事のことになり、またうなされる。そんなことが繰り返された。失敗するパターンがその都度、変わっているのも嫌になる。待ち合わせ場所に取材相手が来ないとか、取材相手が急に怒り出すとか、録音していたつもりが録音されていなかったとか、そんな感じだ。
このような失敗は、これまで何度かやってきていて、実際にやった当時は、非常に落ち込んでしまう。それが記憶の奥底に眠っていて、夢となって出てくるのであろう。
自分がやった失敗は、自分が責任を取って処理するしかないけれど、一人の人間が処理できる程度の失敗ならたいしたこともないと言える。
最近、大手ホテルのレストランでメニューの表示と違う食材が使われていたり、人気テレビ番組でやらせが起こったりということが明るみになった。この手の問題は、周期的に起こっている。
私の失敗と意図的な不正とは違うけれど、私が失敗のことで悪夢にうなされるのは、雑誌編集の仕事がそれなりの影響と言うか、対社会との関係のなかにあるからなのだと思う。対する社会が大きければ大きいほど問題が波及する範囲も広く問題が深刻になるのだろう。
編集過程における編集者個々の失敗は読者には見えないしリカバリーもできるが、雑誌が完成した後の誌面上の失敗は取り返しがつかない。そういう時は本当に何日も落ち込んでしまう。雑誌を作っていると、こちらが気づかなかったことで、読者からいろいろな批判を受けることがある。その批判がどういうものであれ、非常にありがたいものだと思っている。失敗を恐れすぎるのも良いことではないのだが、誤字脱字からはじまりどんな小さな失敗も無くすようにしていきたい。(k)