笹の墓標
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いま、森村誠一さん(「人間の証明」などで超有名)が書いた推理小説「笹の墓標」を読みなおしている。本が発行された当時に読んだのだが、また読み始めたのだ。調べてみると 、「笹の墓標」が出されたのが2000年のことだ。もっと昔だと思っていたので意外だった。
なぜまた、読み返しているのかというと、月刊イオの8月号で「朝鮮と日本の100年」とい う特集を組んだのだが、そこで「笹の墓標」を紹介した(小さくだけど)ので、新たに購入 したことが一つ(家にあると思って探したが見つからなかった)。もう一つの理由は、小説の舞台となっている北海道の朱鞠内湖に、先日、出張で訪ねたからである。
月刊イオに「1世の軌跡を辿る―旅編―」という連載があり、その取材で長崎の軍艦島を訪ねたということを、このブログで書いたが、朱鞠内湖を訪ねたのも同じ連載の取材のためであった。もちろん初めての訪問。南に北にと、旅ができてうれしいのだ。
朱鞠内湖(雨竜ダム)は、北海道の中心よりも西北に位置し、満水時の表面積は約24平方kmで人工湖としては日本で一番広い。周囲は約40kmもある。発電を目的としたダム湖で、 1938年に工事が始まり1943年に完成した。ダム建設には最大時で7000人、のべ600万人の労働者が動員されたと いわれており、同時に行われた名雨線鉄道工事とともに、朝鮮人の強制労働の現場でもある 。
朱鞠内湖の横には光顕寺というお寺があって、現在は、鉄道建設、ダム建設当時にあった朝鮮人強制労働のことを後世に伝えるための「笹の墓標展示館」という施設になっている。 強制連行、強制労働のことを調査し遺骨の発掘作業と遺族への返還を進めてきた空知民衆史講座という市民団体が管理運営している。
空知民衆史講座のホームページには次のように書かれている。http://homepage3.nifty.com/sorachi/
――名雨線鉄道工事ではタコ部屋労働が、雨竜ダム工事ではタコ部屋労働だけではなく、朝鮮人強制連行労働も行われ、犠牲者をたくさん出す結果となりました。しかし、そうした強 制労働の内容も、死亡者の数もまだすべてが明らかになったわけではありません。それを知る一つの手がかりとして、私たちが幌加内村の埋火葬認許証・光顕寺過去帳・風連村の埋火葬認許証などを調査して作成した犠牲者名簿があります。
私たちがこれまで明らかにすることができた犠牲者は、合わせて204人です。そのうち、日本人(主にタコ部屋労働者)は168人で、朝鮮人は36人となっています。日本人の場合はその本籍が全国48のうち、35の都道府県にまたがっており、朝鮮人の場合は朝鮮南部の農村地帯の出身者が多いことがわかります。工事別では、ダム工事の犠牲者が142人、鉄道工事が59人、その他が3人となっており、朝鮮人の犠牲者のうち33人がダム工事によるものとなっています。
しかし、私たちはこれが犠牲者のすべてだとは考えていません。私たちがこれまでに得た工事体験者などの証言では、「コンクリートの中にそのまま埋め込まれてしまった人もいた。」と言われていますので、実際の犠牲者は204人より多いと考えられます。――
森村誠一さんの「笹の墓標」というタイトルは、「笹の墓標展示館」からとられたものである。2000年に読んだときは、もちろん朝鮮人強制労働を題材にした推理小説だということで手にとったのだけれど、今回、実際に現地を訪ねていろんな話を聞いて改めて読んでみると、まったく小説から受ける印象が違うのであった。
実際に自分の目で見た風景、例えば、「笹の墓標展示館」もそうだし、遺骨が発掘された現場や日本や韓国、在日の若者たちが行ったワークショップの現場が出てくるので、読んでいて情景が目に浮かんでくる。また、私の取材に同行してくださり、大変お世話になった、空知民衆史講座の実在の方も実名で登場するのでなおさら物語に引き込まれる。
もちろん、実際に朱鞠内湖を訪ねたことのない人が読んでも、社会派推理小説として面白い作品なので、一度手にとってもらいたい。―何日後かにたぶんつづく―(k)