映画と原作小説、どちらがよかった?
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6月12日の日刊イオで(相)さんが「青年劇場134回公演『三たびの海峡』を観て」という文章をアップしている。
私はこの演劇を観ていないが、原作となった帚木蓬生の小説『三たびの海峡』を読んでいる。1993年に新潮から文庫化されたときだ。この小説は第14回吉川英治文学新人賞を受賞(1993年)している。
小説では植民地時代、朝鮮人が過酷な労働を強いられる場面でものすごく悲惨なことが描かれるのだが、舞台ではどのように表現されていたのだろうか(カットされているのか)、気になっている。
またこの原作は1995年に三國連太郎主演で映画化もされていてこれも見ている。映画は映画館ではなくDVDで見たはず。
演劇は観ていないので比べようがないが、映画より明らかに小説のほうが面白かった。
今日のテーマは映画とその原作の小説を比べてみてどちらがよかったかというもの。私の見た限りにおいて、原作を明らかに超えた映画はあまりなかった。
映画がよかったもの、原作小説がよかったもの、それほど多くないが私が観た、読んだなかで、それぞれいくつか例を挙げてみたい。どちらも映画として人気があった作品に絞っている。以下、あくまでも私個人の感想だ。
まず、原作小説がよかったもの。
日航墜落事故を追う新聞記者の姿を描いた映画『クライマーズハイ』は自分も新聞社にいただけに非常に面白かった。その後、横山秀夫の同名の小説を読んだが原作のほうがじっくりと落ち着いた感じで描いておりよかった。
恐竜を現在によみがえらせたSF映画『ジュラシックパーク』。これはマイクル クライトンの同名の小説が原作。小説は科学的な知見をさらに詰め込んでいてよりいい。
孤児院で育った青年を主人公にし中絶問題などを扱った映画『サイダーハウス・ルール』。これはあまり有名な作品ではないかもしれないが、個人的には思い出深い映画だ。イオの映画評のページに私が原稿を書いた作品で、非常に面白かった。それでジョン・アービングの同名の小説を読んでみたが、やはり小説の方がよかった。小説では出てきた重要な登場人物が映画ではまったく登場しない。ばっさりと切られているのだ。
これはよくあることで、長い小説の場合その内容を2時間ほどの映画にまとめようとすると、どうしてもいろいろとカットしなければならないのだろう。
原作を映画がなかなか超えられない理由もそのあたりにあるのかもしれない。小説を読むときは自分の頭のなかで映像を作り出すけれど、それも楽しい作業となる。
映画を観てから小説を読むのと、読んでから見るのとではまた違うのだろう。映画を先に観ても優れた小説は映像に引きずられない。
あまりないのだが逆に小説よりも映画の方がよかったものを挙げてみたい。
刑務所を舞台にしランキングで常に上位にあがる映画の『ショーシャンクの空に』。原作はスティーヴン・キングの『刑務所のリタ・ヘイワース』。ハリソン・フォード主演のSF映画の傑作『ブレードランナー』。この原作はフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。
この二つの作品は映画のほうがよかった。原作の内容にあまりというかほとんどとらわれず、設定だけを借り映画を作っていて成功している。
もう一つ挙げるなら日本映画の名作『砂の器』。原作は松本清張の同名の小説だ。高校時代に映画好きの先生が授業中に『砂の器』の内容を説明、絶賛していたので観に行ったという思い出がある。後で小説も読んだけれど、映画を観た時の感動の方が大きかった。
松本清張の作品は多く映画化されていて、不思議と映画の方が印象に残っている場合が多い。『砂の器』の他に、『鬼畜』『霧の旗』『天城越え』などの作品が挙げられるだろうか。
映画と原作、読者のみなさんの意見はどうだろう。これからもっと小説も読み映画を観たい。(k)
※冒頭の写真は昨年、ノーベル文学賞を受賞した韓国の作家ハン・ガンさんの作品たち。左から『すべての、白いものたちの』『菜食主義者』『少年が来る』。受賞の報を受け購入し読んだ。『菜食主義者』は2010年に映画化されているとのことだ。機会があれば観てみたい。