6月号の葬儀特集に携わり思ったこと
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先日完成したイオ6月号は葬儀特集。コロナ禍を経て、在日コリアンのお葬式がどう変わっているのか―。お墓のことや大切な人が亡くなった際の諸々の法的手続きなどについても取り上げている。身近な読者からは、「関心のあるテーマだったので興味深く読んだ」などの感想が寄せられている。
6月号が発行されてから、葬儀出席のスケジュールが立て続けに入った。職場の元上司に妻方の親せき。特集では、葬儀の主流は少人数で葬儀を執り行う「家族葬」に推移していると書いたが、私が出席した2件はいずれも、訃報を広く告知し参列者を限定しない一般葬だった。
昨日行われた妻方の親せきの葬儀は、今回の特集で取材した葬儀業者が担当していた。取材する側・される側として会ったすぐ後に、亡くなった人の親類とサービスを提供する業者として顔を合わせるのはなんだか不思議な感じがした。
人は必ず死ぬ。冠婚葬祭のうちで例外なくすべての人が一度は関わるか当事者となるのが「葬」だろう。にもかかわらず想像力が及びにくいのは、一般的に死は想像力が及びにくい事柄であり、それは自分の死が「体験」できないことにも一因があるのではないか。
「葬」について考えるということは、自身の死生観が問われることなのではないか―。ここ数日、葬儀に参列しながらそんなことをつらつらと考えた。(相)