いちょうの木の下で
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根岸森林公園に植えられた3本のいちょうの木
横浜市の根岸森林公園で5月11日、約30人の参加のもと「いちょうの木の集い」が行われた。
1972年に、横浜市旭区在住の加藤栄さん(故人)が日本社会党全国活動家婦人訪朝団の一員として朝鮮の平壌を訪問したとき、宿舎となったモランボンの丘の迎賓館を散歩中に拾って日本に持ち帰った銀杏。その銀杏を鉢植えに植えたところ発芽し、加藤さんは3年後に日朝友好の印として、苗木5本を飛鳥田一雄・横浜市長(当時)に贈った。
飛鳥田市長は1979年10月21日に3本のいちょうの木を横浜市中区の根岸森林公園に植え、現在も3本の木は仲良く根を張っている。
集いは在日本朝鮮民主女性同盟神奈川県本部と「かながわ朝鮮女性と連帯する会」(丹野貞子代表)の共催で続けられてきた。今年の集いでは、日本と朝鮮の友好と朝鮮半島の統一を願い、朝鮮学校に学ぶ子どもたちを見守り続けた、連帯する会の篠原日出子さん(24年10月に逝去、享年91)を偲ぶ発言が続いた。

田辺三知子さん
神奈川県湘南地域の二宮からJR横浜駅が最寄りの神奈川朝鮮中高級学校にたびたび訪れていた篠原さん。「朝鮮学校までの坂を登る篠原さんの後ろ姿を忘れません」と涙ぐんだのは、連帯する会の田辺三知子副代表(74)だった。
「篠原さんは、神奈川で1960年から続く日朝友好展でも大活躍された。平壌に行かれた後は、水墨画にも挑戦し、白頭山の天池や三池淵周辺の風景、普通江の柳の並木道を描かれ…。一番、一生懸命になさったことは朝鮮学校を支援する活動でした。私は、朝鮮学校に向かう坂を一歩一歩、着実に歩いていく篠原さんに追いつくのがやっとでした。朝鮮と日本の問題に深い想いを寄せてきた篠原さんの意志をついで、皆さんとがんばっていきたい」と言葉を振り絞った。
集いには篠原さんの長男・篠原慎一さん(68)と長女・園和理枝さん (65)も招待され、働く母親たちの保育所創設のために奔走していた若き頃の篠原さんについて語り、「母は陶芸と連帯する会の活動は死ぬまでしていきたいと、強い思い入れを持っていました。母の思いが続いていけばいいと思う」(慎一さん)と参加者に思いを託していた。
任芳玉・女性同盟神奈川県本部委員長は、「互いが助け合った時期が長かったことを、このいちょうの木は教えてくれます。篠原さんは朝鮮学校に来るたびに、子どもたちが何年生になったの?と、わが子を想うようにいつも気にしてくれました。篠原さんの思いを次の世代にしっかりつなげていきます」と決意を伝えた。女性同盟顧問からの発言もあり、この集いに参加することを目指し、闘病していた同胞女性が亡くなった無念も伝えられた。

女性同盟神奈川県本部顧問の林景淑さんも篠原さんとの思い出を語った

女性同盟西横浜支部顧問の卞次順さん

朗読劇を披露する飯島典子さん(右)と神奈川朝高の生徒、教員たち

レクリエーションで交流
会では、いちょうの木をめぐる逸話を込めた朗読劇を、神奈川中高のパク・レヤンさん(高1)、キム・チャンウォンさん(高3)、同校教員の崔哲碩さん、連帯する会の飯島典子さん(71)が披露。最後は「日朝友好イチョウの木」(作詞:篠原日出子、作曲-金殷真)と「銀杏」(作詞:飯島典子、作曲:金殷真)を参加者全員で歌い、レクリエーションを楽しんだ。
大きく育ったいちょうの木が晴天の空にまぶしく、朝鮮半島と日本、在日朝鮮人と日本市民とが、年に1回の集まりを通じて互いを大切に思い、友情を育んできたことがしっかり伝わってきた。
16年前に記事を書いた場所に導いてくれた方々に感謝したい。(瑛)
https://www.io-web.net/2009/01/contents-200901/
いちょうの木に込められた想い 加藤栄さん
2009年1月号特集「みんなでアンニョン!」