最近の犯罪報道
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犯罪報道の際には「●●人」などのテロップが決まって掲げられる
犯罪に関するTV報道にふれるときの違和感、最近これが頻繁にある。
埼玉での小学生ひき逃げ事件、三重の新名神高速で起きた逆走事故。そして今日(20日)もまたニュース番組で報じられた。TOEIC不正受験、侵入容疑で逮捕。これらの犯罪報道、主語はすべて「●●人」または「●●籍」の容疑者。ストレート報道にしては国籍や出自に関する情報が過剰な強調にみえるのだ。
ましてや容疑者と犯罪者は異なるが、これが日本の犯罪報道における一般的な傾向であり、体感としては日常茶飯事だ。
逮捕=犯罪者であるかのような報道に、いつしか視聴者たちは、画面の向こう側にいる容疑者を、罪を犯した人としてまなざす。また一連の報道に決まって付随する出自や国籍情報は、当該国や民族への偏見を助長するものとして機能する。最近は、日本在住の外国籍容疑者が不起訴となったニュースを、以前にもましてメディアがセンセーショナルに報じている。意図的か意図的でないかは定かではないが。
そんな状況も相まってか、例えば20日に報じられた不正受験のニュースについて、SNS上は「日本の学校に外国人はいらない」「どんだけ悪さするんだよ●●人」などのヘイト投稿にあふれていた。
情報番組で逆走事故のニュースが報じられた際、家族の一人が「●●●(国名)が悪いわけでなく、暴走が問題」と言ったのだが、それを聞いて情報をキャッチする側の姿勢が改めて問われているのだと思った。
逆走事故の例でいえば、メディアは「暴走そのものの問題性に人々の関心が向くような報道」をどれだけ追求できているのか。また視聴者もその問題性にフォーカスできているのか―。
日々触れるニュースや報道は、物事を判断する素材の一つにはなっても、それが絶対的な判断材料にはなりえない。「袴田事件」のように、ずっと犯罪者として報道され、少なくない人々がそう認識していた人の無罪が、昨年、逮捕から58年ぶりに確定した例が象徴している。
メディアリテラシー教育がどの世代にも必要だと思う今日この頃だ。
(賢)