町の変化と日本社会―特別永住の問題に思う – イオWeb

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町の変化と日本社会―特別永住の問題に思う

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1件の返信

  1. ブラウ より:

    無題
    >09年4月の頃は、まだヘイトスピーチという言葉は一般的に知られていなかったと思います。在特会が京都の朝鮮学校を襲撃したのは09年12月4日でした。

    それからほんの5年でこのありさまですから、ある意味感慨深いものがありますね(苦笑)。

    日本社会の政治・言論文化の急激な反動劣化とそのあまりの拡散力に、同胞の間でも一種の「徒労感」「あきらめ」ムードが深まりつつある気がします。

    私は、20年くらい前に「自由主義史観」が世に知られはじめた時も、在特会が一部のネットユーザーの間でもてはやされつつあった時も(連中の言う「史上初の朝鮮大学校前デモ」が実行されたのは、京都ハッキョ襲撃よりもう少し以前のことだったはずです)、周囲の同胞に「これはゆくゆくえらい事になる」と機会があれば話していましたが、総連の専従にすらほとんど耳を貸してはもらえませんでした(大方の反応は「ただの少しアタマのおかしい連中だろう」的なもの)。

    後出しジャンケンの「オレってスゴイ自慢」や恨みごとを言いたいのではありません。もともと私はその手の情報に過剰に反応しやすいタチではあった、というだけのことです。

    おそらく当時、韓国社会における民主化の進展とそれに伴う南北和解ムードの醸成が、それだけ広く在日社会を覆い希望となっていたこと、そしてそれを優先視していたことの結果なのだろうと、今となっては自分なりにそう分析しています。
    私自身、上述のような「警告」めいたことを語りながら、その実そういう雰囲気にすっかりのまれてもいたのですから、ムリもないことでしょう。

    とにかく今は、このツケを払うことに全力を挙げなければなりません。多くの日本人がポピュリズム的国粋主義に傾斜していく一方で、また別の日本人たちもそのなし崩し的な動きに反対の意を表明しています。

    次にわれわれが何をなすべきか。
    トップダウン的運動も重要ですが、なにかもっと同胞大衆の意識、心の琴線に直接はたらきかけるような取り組みが必要な気がします。

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