43ヵ月
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現在、編集部は創刊から164号目となるイオを作っています。
私はちょうど10年目を迎えた121号目から携わるようになったので、今回が43号目となります。
思えば、たくさんのことがありました。
たとえば、私はずっと今座っている席で仕事をしているのですが、ここから見える風景には変化がありました。いつの間にか、デザインを担当する2人が女性に変わっていたこと。左斜め前の席に、(里)さんが座るようになったこと。
私がイオに来たときは女性が一人しかいませんでしたが、今は4人。その数は男性を上回り、そして平均年齢もがくんと落ち、いつしか「先輩」と呼ばれるようにもなりました。
初めての取材は料理の企画で、初めての出張先は静岡県でした。初出張はというのなんだか嬉しくて、その嬉しさのあまりに調子に乗って、問題を起こし、会社に戻ったときに怒られた記憶があります。
これまで何本の記事を書いたかわかりませんが、いくつか思い出に残る記事があります。一つは、北海道朝鮮初中高級学校の寄宿舎に寝泊りしながら、映画「ウリハッキョ」のキン・ミョンジュン監督を取材した記事です。監督と寄宿舎で2、3日一緒にいたせいか、記事は取材ノートを見ることなく書けました。
二つ目は、埼玉県に住むラリードライバーの金雅志氏の記事です。4ページにわたる企画だったので、それこそ字数を気にせずがっつり書くことができました。反響もありましたので、金氏を取材できて、そして書くことができて本当に良かったと思っています。
ほかにも、いちボクシングファンとして、現在プロボクサーとして活躍する李冽理選手、尹文絃選手、金智哉選手、金樹延選手の記事が書けたこと。また、結婚や未婚をテーマにした企画は、先方の突っ込んだ話も聞けたので、やや興奮しながら取材をしました。
朝鮮学校にもたくさん訪れました。それまでは、比較的人数の多かった自分の出身校しか知らなかったこともあり、たとえば人数の少ない学校や、寮のある学校などを訪れ取材していると、一言では表せない、胸の詰まる思いをしたことも何度かありました。
2008年の7月からは、同胞数の少ない県や地域の同胞社会を紹介する、「アンニョン! ウリトンポ」という企画を担当することになりました。そして青森、秋田、岩手、山形、山梨、和歌山、鳥取、島根、函館(北海道)、富山、石川の地を訪れ、トンポ社会を見て回りました。書きたいことはたくさんありますが、ある過疎地域のトンポの、「過疎地域は先進地域だ」という言葉が今でも心に残っています。
とはいえもちろん、書いたすべての記事に、愛着を持っていますが。
話しは戻り、現在、イオ編集部には20代が5人もいます(男2女3)。
実はこの5人、結構仲が良く、仕事以外の時間も一緒にいることが多いのです。
5人で飲んだことは数知れず、誰かが誰かを泣かせたことも数知れず。
でも、やっぱり同世代の仲間みたいな感じで、今朝も、昨夜の飲み会が2次会、3次会と続き、結局、朝の5時までファミレスでグダグダしていたくらいです。今日が土曜日ということもあり、みんな眠そうに仕事しています(笑)。
編集長や、4年近くデスクを横にした女性の先輩記者にもたくさんお世話になりました。ここでは恥ずかしくていちいち書けませんが、とにかく、ずぼらで掃除が嫌いで原稿の締め切りを守らない私と、口うるさくも最後まで温かく接してくれたのですから。
この文を書いているのは12月26日。
クリスマスも終わり、2009年もあと5日で終わり、忘年会も一通り終わり、ブログを書くのは今回で最後となりました。そしてこの文章ももう、締めの段階に差し掛かってきました。
坊主も走るこの時期、公私ともに忙しく、てんやわんやで、いろいろな方にちゃんとあいさつ出来なかったことが心残りです。
まだ振り返る日は来ませんが、これまでの経験を今後、フルに活かしたいと思っています。
そして、この場をかりて、イオ編集部員をはじめとした、会社の人たち、そしてお世話になったたくさんの方に。
コマッスミダ!(蒼)
お疲れ様でした。
最近になって、編集部を去ったことを知り、
残念がっています。(弟さんと同じ職場です)
朝鮮学校を取材し感じたこと、いつまでも忘れないで欲しいです。
「過疎地域は先進地域だ」
この言葉、とても重いですね・・・