なぜ、泣いてしまうのか? について考えること
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最近、涙もろい。
日常生活で悲しいことがあったわけではないのだが、しょっちゅう涙がでる。
1日1回は、何かの拍子で涙を流している。
もともと涙腺は弱いほうだけど、最近はひどい。
たとえば先日、火曜サスペンスを見ながら、つい、涙がでた。
たまたまそのとき隣に母がいて、「これはまずい」と思って、大きな声であくびを3回ほどして、「あー、ねみー。あー、マジ眠い」と言って、まぎらわした。
たぶん、バレてるけど。
僕のなかで、涙を流す基準っていうのがどんどん低くなっている気がする。
いや、曖昧になっている気がする。
つまり感動のツボが、ずれていっている。
感動のツボ?
そういえば友達に、映画「ニューシネマパラダイス」を観て泣かなかった(泣けなかった)のに、「踊る大捜査線~The Move~」を観て号泣した人がいたけど、そういうことか。
いや、映画「パッチギ」を観て号泣する朝鮮人がいる一方で、まったく意味がわからないと感想する日本人がいるけど、そういうことか。
いやいや、韓国の映画「光州5・18」を観て号泣する朝鮮人がいる一方で、まったく意味がわからないと感想する朝鮮人がいるけど、そういうことなのか。
学生の頃、ある友達が、休校中に南の映画「シュリ」を観てすごく感動したらしく、僕に勧めてきた。
その数日後、ある先生が、休校中に「シュリ」を観て、授業中に批判していた。
それを聞き、友達はへこんだ。
感動した自分にへこんでいた。
もちろんその先生も、感動した友達を批判することはないだろうけど。
う~ん、何でしょうかね。
責任がとれれば、面白いとかつまんないとか、自由に感動していいと思いますけけど。
よし、帰りの新幹線で(現在出張中)、「火曜サスペンスで泣いてしまった」(=感動の)責任をとるか。(蒼)