「9.11」
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8年前の今日、アメリカ経済の象徴とも言うべき世界貿易センタービルに2機の飛行機が激突した。
摩天楼は崩れ落ちた。
まるで「映画のようなワンシーン」だった。
でも、どんな映画よりも、恐ろしかった。
あの映像を超えるものは作れないと思う。
その後、アメリカの報復戦争により、どれだけ多くの無垢の命が奪われたのだろう。
アフガン、イラク、2つの国は、アメリカによる「解放」で幸せになったのだろうか。
戦争はまだ続いている。
こうしている間にも、彼の地では、殺し殺されている。
出口は、まだ見えていない。(茂)
あの夜の事
あのテロが中継された夜のことは、今でもよく覚えています。
夜10時Nステを見ようとチャンネルを合わせると、
煙たなびくWTCの遠景。
情報は錯綜し、ようやく何事が起きたのかを
知った頃には2機目の突入。
不謹慎承知で言えば私はその時、快哉を叫んだのです。
WW2以降、自国の外にばかり
数限りない血の海を作り出してきたかの国の、それも喉元に
誰だか知らないがついにナイフを突き立てた!
…でも不思議なもので、ビルがとうとう
続けざまに崩壊していくのを目の当たりにした頃には、
いつの間にかそんな熱狂も冷めていたんですね。
むしろつのってゆく吐き気に近い不快感。
だって自分が住んでる街とよく似た場所が、
よく似た暮らしをしてる人たちの命と生活が、
今こうして目の前で崩れ去っていってるんだから。
かの国が血の海にしてきた国は、わが祖国も含めいつも貧乏国です。
そこに爆弾が雨あられと落とされたり
民衆が慟哭する映像や写真は何度も目にしてきたけれど、
あの夜の中継はそれらをはるかに凌ぐ
リアルさをもって迫ってきたんですね。
これ、「生中継だったから」とか
そういう単純な理由じゃないと思うんです。
自分が「先進国に住む者」だからこそ、
あの映像に強烈に感応したのではないのか?
これ以上はない生々しさをもって、
世界と社会の「非対称性」という問題を
あらためて眼前に突きつけられた事に、
胸を鈍く鈍く突かれるような思いを抱きながら
崩れゆくWTCを私は見つめていたのでした。
長文失礼しました。この時の感覚を
きちんとまとめてみたことがなかったので、つい。
これじゃ記事ですねw