先生のマウム
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本名で日本の幼稚園に通った。
だからいつも名前を呼ばれるときはビクッとした。
理由はここでいちいち説明しないけど、とにかく、名前を呼ばれたときは小さ
な声で返事した。
でも、振り返れば温かい幼稚園だった。
いや、温かい先生がいた。
ずっと忘れていたその先生の記憶。
今さっきの取材で思い出した。
ある母が、「うちの子、家では『オンマ』と呼ぶけど、幼稚園では『ママ』と
呼ぶの」と言ったとき、急に思い出した記憶。
「名前を呼ばないでください」と言ったオレを、その先生は叱った。何て言わ
れたかは覚えていないけど、頬を打たれたのは覚えている。
母の日の前日、母の絵とお祝いの言葉を画用紙に書くことがあって、「ママ」
と書いたオレを、その先生は叱った。そして「オンマ」に直させた。
そんな先生だった。
歳は、今のオレと同じくらいか、もっと若かったか。
運動会の前日だった。
その先生に呼ばれた。
手伝いをさせられた。
オレだけだった。
それが嫌で、泣きながら手伝ったのを覚えている。
世界中の国旗を紐につける作業だった。
もっともそれらが国旗だとは、まったく知らなかった。
カラフルな紙切れにしか思えなかった。
どういう意味や力学を持つものなのか、さっぱりわからなかった。
日本の国旗もアメリカの国旗も区別がつかない。
それでも言われたとおり、一枚一枚、紐につけていった。
「これは、ユン君の国の旗」
そう、先生に教えられた。
初めて見た、朝鮮民主主義人民共和国の国旗。
その国旗は、他に比べると新しかった。
今より情勢はいくぶん良かったとはいえ、探すのは大変だったと思う。
あるいは自前だったかもしれない。
運動会の当日、その国旗は、運動場のちょうど中心の真上、晴天の下になびい
ていた。
あの先生が、今日も幼稚園にいてくれればいいなと願う。(蒼)
Unknown
良い話ですね~!!!
こんな先生、沢山いてくれたらどれだけいいだろうと思いながら読みました。
是非、こころとマウムエピソード大賞に応募してください。笑
「日刊イオ」いつも楽しく拝見させていただいております。
人間ですね
人間として基本でありながら、とても素敵な話ですね。
私も本名で日本の幼稚園に通いました。
私もそんな先生に出会えていたら、と思いました。
kyongchil 様
コメントコマッスミダ!
幼稚園を卒園して20年が過ぎます。
なんかの折に、車や自転車でその幼稚園の前を通ることはあるのですが、さすがになかには入っていません。
ブログを書き終わったあと、不意にその先生の消息が気になって、調べようと思ったのですが、やめました。
やっぱり温かい先生でしたので、仮に「幼稚園の先生」を辞めていたとしても、今もきっとそういう温かい人であるに違いないと思ったからです。
「あの先生がいたから今の僕が……」という大袈裟なことはいえませんが、あの先生とちょうど同じ歳くらいになった今、僕もあの先生のような温かさをもって「人」と向き合えているのかなーーと不安に思ったりするこの頃です。