温室育ち
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先日、とある朝鮮学校を訪れた。
児童数も多くない、小さな学校だ。
抱える問題は山積みだが、それでも、保護者、地域同胞たちの温かい支援によって、学校は運営されている。
朝鮮学校を指して、「温室」だという言葉を耳にすることがある。
その意味するところは、あらゆる「外敵」から、朝鮮人としての自分を守る必要がなく、打たれ弱いといったところだ。
もちろん自分の出自を誇れるようになるために重ねる葛藤が、その人に大きな影響を与えることは理解できる。
それによって、その人は精神的に大きく成長し、しっかりとした自己を手にいえるのだろう。
かたや朝鮮学校は、そのすべてが当たり前のものとして備えられている。
アイデンティティクライシスからの克服によって得る成長もないかもしれない。
でも、それでいいと思う。
素直に自分を肯定できる環境。
みんなの支えによって、自分がいるということを子どもの頃から享受できる場所。
「小さいときから多くの同胞たちに愛されて育つから、大人になったとき、(同胞社会を)愛そうと思えるようになるんだよ」
小さな学校の校長先生の言葉である。(茂)
温室育ちは弱い?
日本で在日朝鮮人であることを明らかにして生きてる人々のほとんどは民族教育を受けた人々です。
民族教育がなくても「(民族的)アイデンティティクライシス」は克服できるのでしょうか?温室で育ったか外で育ったかの違いだけなのでしょうか?
今の日本の社会で育つ若い世代が、民族教育と離れた場所で「精神的に大きく成長し、しっかりとした自己を手にいえる」事はほぼ不可能なのではないかと、だからこそ民族教育を守らなければならないのではと、思うのですが。