【特集】私たちの選択―進学、就職、起業―
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ルポ・先輩たちのリアル 迷い、つまずき、それでも選んだ道―
在日同胞の人生の選択も多様化しています。20~30代の同胞たちに成功談だけでなく、挫折や失敗、方向転換も含めた「リアルな」体験を聞きました。
人付き合いで事業を育て

今年で創業40年の総合広告代理店「株式会社マサキ」(千葉県木更津市)。金舜哲さん(34)が代表取締役社長を務める。
東京朝鮮中高級学校の同級生の強い誘いで朝鮮大学校政治経済学部に進学した金さんは、家族の反対に遭いながらも専従活動家への道を選んだ。それでも「いずれ家業を継がなければ」という思いはあった。ある日、父から「そろそろじゃないか」と告げられ、その「本気」を前に覚悟を決めて、1年で専従を退いた。…
「なりたい自分」から考えた進路
金智順さん(26)は昨年3月、慶應義塾大学医学部を卒業し、現在は研修医として栃木県の足利赤十字病院に勤務している。
医療の道を志すきっかけになったのは東京朝鮮中高級学校中級部3年の時の出来事だ。母親がけがで入院したのを機に、漠然とだが医療従事者になりたいという気持ちが芽生えた。
努力だけでは勝てないと知った日から

右から2番目が金鎮仙さん。職場の仲間たちとともに
金鎮仙さん(31)は、高校まで福岡県内の朝鮮学校で学び、福岡工業大学を卒業後、ネット通販に特化した広告代理店に就職。3年間の下積みを経て2020年に独立した。現在は母が営む「ぽそんのキムチ」のECサイト運営や主要SNSの広告運用を手がける株式会社POSONなど2社を経営する。
中学時代はサッカー、高校からはラグビーを始めた金さん。しかし当時の九州朝高ラグビー部は部員不足が深刻で、高2以降は競技環境が失われていった。「バイトをしながら学費を稼いだ高2の夏休みは憂鬱だった」。…
座談会・私たちの選択
進路や職業の選択をめぐる価値観は、世代によって何が変わり、何が変わらずにあるのか。親世代は子どもの進路とどう向き合い、若い世代は自分自身の選択をどう受け止めてきたのか。若い世代と親世代でそれぞれ座談会を企画し、迷いや決断の背景にある思いに迫りました。

広島朝鮮初中高級学校の保護者3人に、わが子の進路と向き合ってきた経験、悩み、そして今思うことを率直に語ってもらいました。
―子どもの進路を意識し始めたのはいつ頃で、その時どんな声かけや関わり方をしましたか?
金:夫婦とも元イルクン(総聯専従)なので高校まではウリハッキョ(朝鮮学校)に通わせるという考えだった。だから本当の意味で子どもたちの進路を意識し始めるのは朝高に入ってから。長女の場合、本人が悩みに悩んでいたので高2の終わりぐらいに「オモニとちゃんと話し合って、決まったらアボジに言いなさい」と話した。
柳:うちは長男がサッカーをしていて、中級部の頃にクラブチームに入っていた。高級部に進学するときにまず一度考えた。朝高に行っていいのか、朝高よりも強い日本学校に行った方がいいのか。けど結局、息子は「朝高でサッカーをする」と決め、いつの間にか朝鮮大学校に行くことも本人が決めていた。娘の場合、コロナ禍での進学先決めで、当時は未知の感染症だから心配も多くて…家から通える県内の大学にするように言った。たくさん悩んだだろうに、自分で大学を見つけて願書も出していて…成長を感じた瞬間だった。基本は、子ども自身が悔いのないよう、本人の考えを尊重しようと努めている。自分が思わず言いすぎてしまう時も、夫が後ろでバランスをとってくれて、夫婦で向き合うようにしている。
李:うちは節目節目で、必ず子どもたちと話し合ってきた。例えば朝鮮人だからただ朝鮮学校に行く、ではなく、本人が自分で選んで通うことが大事だと思う。「何事も自ら選ぶように」と教育してきたので、いくら親が大変でも、子どもが「やりたい」と言ったことは極力やらせてきた。自分で選んだ実感がないと、進路は決められないと思っている。…
“生きづらさ”を考えて
在日本朝鮮留学生同盟(留学同、日本の大学や専門学校に通う在日朝鮮人学生の団体)の活動が自身の進路選択や生き方と向き合うことにつながり、現在は在日本朝鮮青年同盟西東京・中部支部で活動する―そんな共通項を持つ若者3人に集まってもらい座談会を開いた。

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進学、就職 役立つマネーガイド
進学、就職と4月から新生活をスタートさせる方々に役立つ実用的なマネー情報を、「奨学金」「一人暮らし」という2つのテーマでまとめました。
学生の味方! 奨学金 意志ある学びをサポート
奨学金とは進学を希望する学生が家庭の経済的理由で進学をあきらめることのないように、公的な機関(国や地方自治体)や民間団体などが進学に必要な金額の一部、もしくは全額を支援する制度のこと。返済が不要の給付型と、返済が必要な貸与型の2種類に大別され、さらに貸与型には返済金に利息が付かないものと付くものがある。世界的には奨学金とは給付型を主に指すのに対し、日本における奨学金は貸与型が大半だ。…
FPが教える 一人暮らしで後悔しないための「生活設計とお金の管理術」
李政英 ●ファイナンシャルプランナー
春から始まる一人暮らし。ファイナンシャルプランナー(FP)として多くの相談を受けてきましたが、最初の1年でつまずく人には共通点があります。それは、お金を「管理」ではなく「感覚」で使ってしまうことです。一人暮らしで大切なのは、節約ではなく設計。ここでは、東京都内・地方都市の2パターンを想定し、FPの視点から現実的な生活設計をお伝えします。
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インタビュー・チャレンジこそ人生、どん底から開けた道
35歳で離婚、株の大失敗で多額の借金を抱えるも、中途採用の営業職で経験ゼロから社内トップの成績を残し独立、社員教育事業の会社を起業した金千恵さん(64)。自らの経験を活かした研修・講演は多くの企業から支持された。「人生のどん底」からいかにして這い上がったのか。女性の活躍が進まない日本で経営者として成功した秘訣とは―。本人に語ってもらった。
金千恵さん●株式会社新規開拓 前代表取締役社長

35歳で借金4000万
1962年生まれの金さんは南大阪朝鮮初中級学校から大阪朝鮮高級学校、朝鮮大学校師範教育学部師範科と進んだ(名称はいずれも当時)。家の経済状況は厳しかったが、意を決して母親に「大学に行きたい」と言うと、二つ返事で「いいよ」と返ってきた。「あんたは一度決めたらやる子や」と。ただ、「2年制にすること」という条件をつけられたため、師範教育学部師範科を受験した。
卒業後は和歌山朝鮮初中級学校で3年間教員を務め、結婚して東京に移住した後も東京朝鮮第7初中級学校で教壇に立った。仕事のやりがいは大きかった。
「できない子などいません。のみこみが早いか遅いかの違いだけ。だから、子どもたち一人ひとりがちゃんと分かるようになるまで何度も教えました。時には居残りをし、時には家庭訪問をして、何時間でも付き合いました。テストは100点満点をとるまで何度でも受けさせました。理解できるまで学び、100点満点の達成感を知ると、勉強嫌いな子どもたちが勉強好きに変わり、成績もぐんぐん伸びていきました。人の可能性は無限大であることを子どもたちの姿から学びました」
教員の仕事にのめり込んだが、多忙な生活の中で夫婦の間にすれ違いが生まれた。出産してからは現場に復帰できず。道半ばで退職を余儀なくされる。子どもの教育をはじめさまざまな面で夫との価値観の違いも顕在化していった。悩んだ末、32歳の時に子ども2人を連れて家を飛び出した。しかし行く当てもなく、最終的には自分一人で生きる道を選択せざるを得なかった。経済力を身につけなければ、と株の業界に入るも取引で大失敗し、気がつけば4000万円の借金を背負ってしまった―。35歳の時だった。…
記事全文は本誌2026年3月号をご覧ください。







