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社会

社会に関する 116 個の記事をリストしました。

当たり前に本名を名乗れる社会を~vol.14 民族名をめぐるたたかい

在日朝鮮人の多くは本名である民族名のほかに「日本名(通称名)」という2つの名前を持って生活してきた。朝鮮人差別が根強く残る中で、ある者は民族名を名乗ることに不利益を強いる現実に抗い、またある者は奪われた名前を取り戻すたたかいに立ち上がった。   「通名」を強いる社会 在日朝鮮人が「通名」を使用するようになった歴史的背景に、日本の植民地支配下において行われた、朝鮮人の姓名を日本式の氏名へ変えさせるという「創氏改名」政策がある。 1945年の解放後も日本に留まった同胞の多くは引き続き日本式の「通名」を使用した。差別・偏見が根強い社会で民族名を使うことによる不利益を避けるため、日常生活における「通名」使用が定着していった。

Vol.2 初級部2年~芽生える自覚、学びの内容と質も豊富に

趙晴美 ●東京朝鮮第1初中級学校教員     「末っ子」から上級生に 初級部2年生は、初めての学校生活を経験する1年生に比べて、だいぶ落ち着きが出てくる。前年度の1年間の経験を活かしながら、「わがもの顔」でのびのびと学校生活を楽しんでいるというのが特徴といえるだろう。 また、新1年生を迎えることも成長の大きな要因だ。下級生とともに過ごし、下級生の面倒を見たりする過程で、上級生の自覚が芽生えてくる。初級部低学年をきょうだいで例えるならば、1年生が甘えん坊の末っ子、3年生はしっかりものの長男・長女に対して、2年生は自由奔放にふるまう「真ん中っ子」になるだろうか。  

「外国人お断り」は差別~vol.13 在日朝鮮人の入居差別問題

在日外国人の多くを朝鮮人が占めていた時代、民間の賃貸アパートに「朝鮮人お断り」などの露骨な張り紙がしてあることは少なくなかった。国籍を理由にした差別に声を上げることができない状況は長く続いた。

Vol.1 初級部1年~民族教育の出発点、さまざまな「ウリ」に触れる

チョソンサラム(朝鮮人)として生きていく力をつけるための体系的な教育を受ける第1歩となる初級部1年は民族教育の出発点、学校生活の始まりであり、母国語としてのウリマル(朝鮮語)をはじめさまざまな「ウリ」に触れ、成長していく学年でもある。

スポーツと政治・考

世界記録を塗りかえるスポーツマンの挑戦は、それだけで圧倒される。 しかし「国」同士が勝敗を競うこの国際社会で、スポーツがナショナリズムと関連して 政治的に利用されてきたのも、また近現代の歴史だった。朝鮮半島や在日朝鮮人の歩みから 「スポーツと政治」を、また政治を越える「スポーツの力」について考えてみたい。

切り捨てられた障害者と高齢者~vol.11 -在日外国人の無年金問題

在日朝鮮人の障害者、高齢者の一部の人々は年金を受け取れず、苦しい生活を送っている。国籍に関係なく等しく支給されるはずの年金制度の不備によって生まれた無年金問題。日本政府による制度的差別の一つであるこの問題はいまだ解決を見ていない。   国籍条項の撤廃と新たな差別 日本の年金制度は、勤労者を対象とする被用者年金と、それ以外を対象とする住民年金の2つに分類される。第2次大戦前は被用者年金しかなく、これには「国籍条項」があったので、外国人は対象外とされていた。戦後、連合軍占領下で国籍差別の禁止が定められたため、被用者年金の国籍条項は削除された。 59年、住民年金としての「国民年金法」が制定されるが、同法は被保険者資格を「日本国民」と規定した。ふたたび「国籍条項」が復活したのだ。当時、在日外国人の大多数を占めていた在日朝鮮人はこの条項によって長い間、社会保障制度から排除されてきた。  

明日のための同胞福祉

同胞社会で福祉への本格的な取り組みが始まってから十数年が経ちました。
特集では、各地の同胞福祉施設やムジゲ会、民間団体などが積み上げてきた
活動を振り返り、これからの課題と可能性を示しました。
また、自身の経験の中で福祉を見つめ実践してきた専門家たちを紹介しながら、
いま求められる同胞福祉の形を考えます。

「私たちの学校を取り上げないで」~vol.9 -枝川朝鮮学校土地問題裁判

2003年12月、東京都が江東区枝川の東京朝鮮第2初級学校(以下、東京第2初級)の 校地の一部返還と4億円の損害金支払いを求めて提訴した裁判(以下、枝川裁判)は 07年3月、和解という形で決着した。 枝川裁判は在日朝鮮人の民族教育権をめぐって争われた初のケースとして 大きな注目を集めた。   歴史的経緯無視した 都側の提訴   本裁判には枝川という地をめぐる歴史的な経緯が深く関係している。 枝川1丁目地区は戦前、朝鮮人が住んでいた江東区塩崎などが「幻の東京五輪」の会場予定地に指定されたため、都が41年に埋め立てを終えたばかりの土地に粗末なバラック住宅を建てて、1000人以上の朝鮮人を強制移住させることによって形成された。都が戦後、同地区の管理を一切放棄したことで、同胞たちは劣悪な住環境の改善に自力で取り組まざるをえなかった。

70年代から獲得へ粘り強い取組み~vol.9 -地方自治体による朝鮮学校への補助金

朝鮮学校は各種学校であることから学校運営に対する公的助成が少額で、 保護者らは少なくない経済的負担を強いられてきた。 地方自治体からの公的助成を求める運動は1970年代から始まり、 各地でさまざまな形の補助金を勝ち取ってきた。   行政へ働きかけ、 信頼関係も構築   朝鮮学校への助成制度の適用は保護者の負担軽減のみならず、学校の健全な運営確保のためにも不可欠だった。「教育を受ける権利の保障」という視点とともに、朝鮮学校設立の歴史的経緯からしても一刻も早い改善が求められていた。  地方自治体における朝鮮学校への公的助成は1960年代まで皆無だったが、70年に東京都が「私立学校教育研究費補助金」の給付に踏み切ったのを皮切りに、74年には大阪府が「私立専修各種学校設備補助金」を、77年には神奈川県と愛知県が「私立学校経常費補助金」の支給を始めた(『資料集 在日朝鮮人の民族教育の権利』在日本朝鮮人教育会編)。97年の愛媛県をもって、当時、朝鮮学校があった29の都道府県すべてが補助金を支給するようになった。

私たちと故郷

コヒャン―在日同胞にとって、特別な意味を持つ言葉です。しかし同時に、その意味は世代ごとに変化しています。1世が慕情の念を抱き、重んじてきた故郷。では、2世や3世、さらに4世にとってはどんな意味を持つのでしょうか。特集では、在日同胞にとって故郷とは何なのか、様々な「故郷観」を通して考えます。また、地理的条件や道民性など、各道の特徴についても紹介します。

スポーツでも同じ舞台に~vol.8 -朝鮮高級学校の高体連加盟

朝鮮高級学校(朝高)は長い間、日本の高校スポーツの総本山・全国高等学校体育連盟(高体連)が主催するすべての公式試合に出場できなかった。 高体連が加盟資格を学校教育法第1条で定める「学校」(1条校)に限定し、各競技団体もこれにならっていたためだ。朝鮮学校の生徒はなぜ同じ舞台に立てないのか―。固く閉ざされた扉を開こうとする動きは大阪から始まった。   理不尽に奪われた希望 朝高の高体連加盟問題は1990年5月、大阪朝鮮高級学校の女子バレーボール部をめぐって起きた一つの出来事が発端となりクローズアップされる。 同年3月、同部が大阪高体連への新規加盟を認められ、府の春季大会へエントリーする。資格のない朝高に出場を認めてしまった高体連側の「ミス」だったのだが、これが後に大きな問題を引き起こす。同大会の1次予選を突破し、2次予選出場を決めた大阪朝高に大阪高体連から連絡が入った。「規約上、朝鮮高級学校は高体連へ加盟できないことに気づいた。大会には出場できない」。いったん参加を認められ、予選を勝ち進んでいたのに、途中で締め出されたのだ。

浮き彫りになった朝鮮学校外し~vol.7 -朝高卒業生の大学受験資格問題

大学に入学(受験)できるのは高校卒業生と帰国子女、大学入学資格検定(大検、現在の高校卒業認定資格)の合格者などと定めた学校教育法を盾に文部省(後に文科省)は朝鮮学校をはじめ一条校でない外国人学校の卒業生には大学の受験資格がないという立場を長年に渡ってとってきた。国立大学もこの見解に従って一律に朝高卒業生の受験を拒絶していた。差別是正のたたかいは1990年代半ば、京都から火がついた。   2重、3重の負担 朝高生は大検の受験までも制限されていた。大検を受けるには中学卒業の条件が必要だが、一貫して朝鮮学校に通ってきた生徒には中卒資格も与えられないので、大検すら受けることができない。朝高生への受験資格を認めない大学を受ける道は、朝高に通いながら日本の定時制高校か通信制高校に在籍して大検に合格するか、上記の高校を卒業して「高卒」の資格を得るかの2つ。いずれも回り道で、生徒への負担はたいへん大きかった。 国立大とは対照的に、一部の公立および私立大学は早い時期から独自の判断で朝高生の受験を認めてきた。

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